「別離加速」MITの石井先生に憧れて

人生はタンジブル

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MITメディアラボの石井裕先生

コンピュータサイエンティストの石井裕先生(MITメディアラボ副所長)がボクは大好きだ。世界の第一線で活躍する研究者の方に「大好き」という表現を使うのもどうかとも思ったが、石井先生の研究実績のみならず、人柄、キャラクターに人間的魅力を感じていて、やはり大好きという言葉の他に良い表現が見つからない。

哲学を持ったコンピュータ科学者

イノベーションを生み出すには本質的な哲学を持つことが重要だと、近年よく言われるようになってきた。哲学を持った人とは石井先生の言葉で言い換えれば「2200年の人類に何を残したいか」を常に思い描いている人物のことである。シリコンバレー系のベンチャー創業者に代表されるような哲学を持った経営者は増えているものの、哲学を語る科学者というのはまだ少ないように感じている。
※ すべての学問は哲学から派生しており、多くの科学者は哲学だったり信念・信条を重視していることは間違いないが、その自前の哲学を前面に押し出して研究を行っている者は多くないと思う。

「メタファー」を語る

石井先生は本質的な哲学を持った科学者だ。そんな先生の哲学の源泉は「メタファー」である。先生は、日常の現象から宇宙物理学、人間の作り出した芸術作品などありとあらゆる物から着想を得て、それをメタファーとして理解し、自分の哲学として取り込む。そしてその哲学をベースに研究活動を行っているのだ。

重力加速・別離加速

石井先生が語るメタファーの中で、ボクが最も気に入っているのが「重力加速」「別離加速」だ。この言葉の意味をボクが要約してしまうと言葉の本来もつ壮大さ、メッセージが損なわれてしまいそうなので、石井先生の講演の該当箇所を書き起こした。

重力加速。なぜ人は出会うのか。それは別れるため、別れざるを得ない。93年、トロント大学の客員助教授だった時、天文学者が、惑星をかすめる時の相対速度と惑星の重力を利用して宇宙船を加速し経路変更する『スリングショット』を教えてくれた。それ以来この航法は僕の中で『一期一会』の人生のモデルになる。
もう少しわかりやすいバージョンです。出会いと別れによる断続的軌道変更と重力加速。『フライバイ』、『スリングショット』と同じです。深宇宙を目指す孤独な宇宙船とすれ違う重力惑星との切ない刹那的関係。一期一会、会者定離、人生は恒星間航行。
すなわち、素晴らしい人に出会う。それは、恩師かもしれないし、添い遂げられなかったパートナーかもしれない。でもとにかく、飛んでいく、突っ込んでいく。でも、結局すれ違う、一緒になれない。重い星からすると、その突っ込んできた馬鹿な宇宙船、飛んでいった宇宙船は同じスピード。でも第三の視点から見ると、加速したことになる。大事なのは、一緒になってずっと一緒に幸せってない。小坂明子の『あなた』って知っていますか。ああいう幸せじゃなくてですね、一瞬の出会い、こういう出会いでもってどれだけエネルギーの交換をしたか。最後に我々は一人で死んでいく。どこかで、遠くの宇宙で。でもここまで、この辺境まで来られたのは、きっとあの時あの人にああ言われたから、捨てられたから、振られたから、或いはいい言葉をかけて頂いたから。たぶん、そういうことなんじゃないかと思います。

該当箇所 1:25:33〜

石井先生のメタファー力とでも言うべき力が伝わっただろうか。宇宙船の航法から、人と人との出会いと別れのモデルを構築したのだ。一般的な言い方をすれば「一期一会」だが、一期一会以上にパワフルで納得感が生ずるのだ。

もしあなたが大切な人との別れを引きずっているとして、「人生は一期一会、別れがあったからこそ今のあなたがいるんだ」と声をかけられて納得できるだろうか。「人生別れがつきものなのは分かっている。そんな真理を語られたろころで、今抱えている悲しみ・辛さ・理不尽さは解消しない」と感じるのではないか。

孤独な宇宙船と重力惑星というメタファーを使って、人間関係を論じているからこそ言葉に説得力が生じるのだ。孤独な宇宙船が宇宙の果てまで旅してこれたのは、あのときの一期一会のおかげだ、というパワフルなストーリーがあるからこそ納得できるのだ。

詩人ではない

もしこの重力加速・別離加速モデルを、評論家や詩人が語ったところで、「上手い例えだね」ということくらいしか感じないのではないかと思う。この言葉は、第一線で活躍するコンピュータ科学者の石井裕が語るからこそ、説得力が生じるのだ。人の2倍働き3倍の成果を出すことをモットーとし、論文を読みながらMITのキャンパスを走り回っている石井先生が言うからこそ言葉に意味が宿るのだ。

とにかくもう、ボクは石井先生に魅せられてしまった。

先生のプレゼンのエンディングでは、「2050年」という文字と「墓地のイラスト」をスライドで表示させながら「もうじき違うところへ行き(逝き)ます。2100年になれば皆さんもご一緒です。」と言うのが定番になっている。ボクは石井先生より数10歳年若いけれど、宇宙の歴史から考えたらこんなものは誤差だ。石井先生流に云えば”Life is short” 。ボクは限られた時間で何を成せるだろうか。

追記的な何か

  • コロナがギリギリ感染拡大する前の2020年1月に石井先生が日本で講演会を行う機会があり、参加させていただきました。公演後に直接お話し、サインまで頂けました!
  • この記事を執筆当時私は大学生(学部生)だったのですが、2021年春から石井先生と同じ分野(Human-computer Interaction)を専門とする大学院の研究室に入りました。がんばるぞ。

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