「偽メール事件」の永田議員の自殺について

Sho Yamazaki
12 min readFeb 22, 2018

09年1月10日

今年(09年)のお正月に、以前に「偽メール事件」で話題になった民主党の永田寿康 元議員が自殺されました。飛び降り自殺のようです。
政治的に影響があった方のその手の死亡事件があると、「対立していた組織による犯行なのでは?」などと一種の陰謀史観で考えたりする人もいるようですが、少なくともこの永田さんの事件に関しては、ダメダメ家庭の考え方を理解していると、簡単に理解できるものです。

「偽メール事件」以外にも、永田さんは色々とお騒がせがあったようです。
その永田さんに関しては、ウィキペディアでまとめてあるようですので、参照なさってください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

彼の経歴を見てみると、明確に見て取れるのが、2つの点。
心理的な遠心性と、「功を焦る」姿勢です。

彼は常に「内よりも外」に向かおうとする。
それこそ、彼の実父は九州で大きな医療法人を経営しているそうですが、だったら、どうして医学部に進学して医者にならなかったの?東京大学に入学したんだから、学力的には医学部進学も問題なしでしょ?おまけに日本で有数の資産家なんだそうだから、お金の面でも問題なしですよ。
医学部に進学して、医者になって、若くして、病院の院長さん・・・そんな路線でもいいのでは?どうしてわざわざ物理工学科に進学したの?
というか、出身高校から推測するに、慶応大学の医学部に進学も可能でしょ?その学歴だったら、医者としては文句なしですよ。そもそも、慶応の医学部に進学するために、その高校にわざわざ入学したのでは?

そして、わざわざ進学した物理工学科から、大蔵省に入ってしまう。
いくら頭がよくても、大蔵省に入るには、相当な勉強が必要でしょう。
つまり、彼は早いうちから、物理学の研究者になるつもりはなかったことが推測できます。本来なら、東京大学に入ったのなら、研究者になるという手もあるでしょ?大学院に入って、海外に留学して、日本に戻って大学の教官になるという流れもポピュラーでしょ?彼には勉学を続ける金銭的な余裕もある。
どうして、物理工学科から、大蔵省へ?

そうしてせっかく入った大蔵省をアッサリと辞めてしまう。まあ、政治家になりたいという理由があったのでしょうが、それにしても、もうちょっと待ってもいいのでは?大蔵省から海外留学されているようですので、大蔵省での官僚生活は、ほとんどない状態。せっかく入省したのだから、大蔵省キャリア官僚の体験を、もうちょっと積んでもいいのでは?誰でもできるという体験ではないんですからね。
いずれは政治家の道に進むのはいいとして、どうしてそんなにスグに?
物理工学科から政治家という流れだったら、まさに民主党の鳩山さんがそのパターンです。
鳩山さんは、一応は研究者生活もやっている。研究者から政治家に転身したパターンです。
永田さんとしても、最初から政治家になるつもりだったら、逆に言うと、大蔵省体験は必要ありませんよ。

あるいは、政治家になるために、選挙に立候補するのはいいとして、どうして千葉県からなの?
実父は九州で大きな医療法人を経営している。だったら、九州から立候補すれば、父親からの支援が得やすい。あるいは、埼玉の高校を出ておられるようですが、埼玉県から出れば、高校時代の友人からのサポートもあるでしょう。
千葉県の選挙区に対し、九州の実父は、その地に病院を建設するなど、途方もない援助を行ったそうですが、九州から立候補すれば、そんな面倒は不要でしょ?

彼の発想には、心理的な遠心性が働いている。常に、外へ外へと向かう。いわば逃避傾向が強いわけ。そもそも政治家という存在自体が、ある種の自己逃避の心理と結びついている事例が多い。自分自身や実家の問題を見たくないがゆえに、政治の問題にしてしまうわけ。

あと、国会議員になっての活動を見れば、「功を焦る」姿勢が実に強い。
「とにもかくにも、早く成果をあげなくては!」
と焦った姿勢が顕著でしょ?

どうして、そんなに焦っているの?若いんだし、実父から潤沢な支援があるんだから、そこまで焦らなくても、政治家としての実績も、そのうちに自然に積み重なって行きますよ。

前にも書きましたが、彼が立候補した選挙区に実父は病院を建設したり、あるいは、新聞広告を入れたりして、子供の当選をサポートしたそう。あるいは、永田議員が結婚した際には、その披露宴を、野球場を借り切って大々的に挙行したそう。
まあ、一般レヴェルの資産の親は、そんなサポートなんてやりたくてもできない。サスガに日本で屈指の資産家ですよ。支援のスケールが違う。

しかし、じゃあ、そんなサポートを「された側」はそんなにうれしいの?
もし、皆さんの実家が途方もない資産家で、「オマエの結婚式のために、野球場を借り切ってやるよ!」なんて言い出したら、皆さんはうれしく思いますか?
むしろ困惑するのでは?

結婚式は、結婚する当人のためではなく、親のため・・・という現実はあるにせよ、「そこまで」やる必要あるの?
選挙サポートだって、いかにも「至れり尽くせり」のサポートをしてくれるのはありがたいけど、「そこまで」やらなくてもいいのでは?援助される当人も、これじゃあ、誰を選ぶ選挙なのか、わからなくなってしまいますよ。当選しても、本人の達成感なんて逆に感じなくなってしまう。

もちろん、自分の子供を援助した父親は、子供への愛情ゆえの行動でしょう。
しかし、援助された子供の側は、本当にそれを求めていたの?

そんなシーンは、それこそ漫画だったら、結構ポピュラーなシーンでしょ?
父「おい!○○!何かお父さんにしてほしいことはないかい?なんでもやってやるぞ!」「おい!○○!オマエのために、△△をしてあげたよ!どうだ?うれしいだろう!」

子供にニッコリと語りかける父親に対し、ブチ切れた子供が叫ぶ。
『お父さん!もういい加減にしてよ!ボクがほしいのはそんなことじゃないんだっ!ボクはお父さんの人形じゃないよっ!』

子供からのそんな言葉に父親は衝撃を受ける。驚いた父親の姿。背景に「ガーン!」という大きな文字と大きな稲妻が、黒ベタのバックに浮かび上がる。
そんな漫画のシーンって、実際にあったりしますよね?

何回も書きますが、永田議員の父親は、愛情ゆえにサポートしているんでしょう。
子供が困らないように、2歩も3歩も先まで手を打ってくれる。
そして、何が有効か、その判断も的確だし、その手段を取ることも実際的に可能。
実に、「ソツがない親」なんですね。

そんな親だからこそ、子供は、親に対し内心ではコンプレックスを持っている。だからこそ、子供は自分なりの成果を出そうと「功を焦る」ことになってしまう。まさに「ボクはお父さんの人形じゃないんだ!」ということを自分自身の成果で示したい。
「功を焦っている」から、スジの悪いものに手を出してしまう。

この「功を焦る」姿勢と、「内よりも外」という心理的な遠心性は、両立させることが難しい。本来なら、「外ではなく内」の身近なものにしっかり対処すれば、それなりの成果も比較的簡単にできますよ。選挙区の人たちからの陳情もあるでしょうしね、それに対処すればいいだけ。しかし、「内よりも外」に目を向けるので、その手の「達成した」類の成果とは無縁。むしろ、外にある他者を攻撃し、その敵にダメージを与えることで「手短に」成果としようとするわけ。

だから「対抗心」を持ち、「あら探し」するようになる。
そして何かを犯人認定して、その対象に対し、「悪態を付く」ようになるわけ。

永田さんは、国会内で社民党の議員の発言の最中に「折り紙」で遊んでいたこともあったそうですが、それは彼にしてみれば自然なこと。だって彼は「あら探し」ができないものに対しては、関心を持てないわけ。対立している人の発言の最中だったら、「何か『あら』はないか?」と食いつきがいいわけですが、対立していない関係の社民党の人だったら、「あら」が見つかっても、どうしようもない。だから「食いつきようがない」わけ。

対立しているものに食いついて、その問題点を指摘することによって、自分の成果とする・・・そんな行動の根底の心理は「ボクは、お父さんからの支援にちゃんと応えたよ!」というわけ。逆に言うと、父親からの支援に応えなければ・・・と日頃から焦っている。

彼の父親も、彼に対し愛情がある。
「自分の子供が困った事態にならないように、親として最大限の準備をしてあげたい。」
そんな心理が、ダメダメであるわけがありませんよ。

しかし、「子供が困らないようにしたい」という発想はいいとして、じゃあ、実際に困ってしまったら?子供が実際に困難に陥ったら、親としてどんなサポートをするの?
永田さんの父親は、その点が、実に弱い。
というよりも、子供が困っている顔を見たくない、子供の失敗を見たくない・・・むしろ、そんな形での、親としての心の弱さが見て取れるんですね。子供が困っていたら、一緒になって考えていく・・・そんな発想がないわけ。

永田さんが議員辞職した後・・・まさに子供が苦境にあるとき・・・そんな時こそ親の出番じゃないの?
あるいは、昨年(08年)に自殺未遂をした際に、最大限のサポートをしたの?
だって、永田さんの父親は、大きな医療法人を経営している。つまり、父親の部下には、優秀な精神科医がたくさんいるわけでしょ?
自分の子供の精神的な危機に、自分の部下を差し向ければいいじゃないの?
というか、父親の配下の精神科医たちは、上司に対して諌言しないの?
形の上では支援したのでしょうが、中身が伴っているの?

永田家はお金もあるし、永田さん本人は頭脳明晰。おまけに議員辞職してもまだ30歳代。やり直しなんていくらでもできる。それこそ、今度こそ医学部に入学して、医師になればいいじゃないの?アメリカ留学で取得したMBA(経営学修士)資格を持つ医師なんて、病院経営をするのに最強でしょ?そんなアドヴァイスもしなかったのかな?

永田さんの父親は、順調な時には、不必要なまでのサポートをしてくれたわけですが、本当に必要は時には、十分なサポートがないわけ。
いわば「晴れの日に傘を貸す」状態。
逆に言うと、子供の側も、そんなことを予感しているから、困った時は相手にされないと思っている。だから子供は、日頃から功を焦って、自分を大きく見せようとし、親に対して「弱音を吐けない」状態。
そもそも「自殺する」まえに、家族に相談できなかったの?
しかし、「子供の困った顔を見たくない」親には相談できないわけ。

順調な時には、不必要なまでのサポートをしてくれても、苦境の時には思考停止になってしまう。それこそ昨年の自殺未遂の後に、彼の持ち物を適宜チェックしたの?
しかし、思考停止状態なので、子供の「持ち物もノーチェック」となってしまう。

自殺未遂を起こした人間を、そんなに気軽に外に出していいの?
もうちょっと真剣に見てあげた方がいいのでは?
専属の看護士くらいつけて、24時間の監視くらいはすればいいじゃないの?

永田さんが父親から受けたサポートは一方通行。
本当の意味での会話がない。
「容姿端麗」な彼ですが、まさに人形扱い。
子供時代からの父親への不満を、「政治のせい」と自分を納得させて、それゆえに「政治家」を目指したのかもしれませんが、問題の本質は自分自身と父親の関係にあるわけ。

ちなみに、永田議員の父親は離婚されたそうで、その「後ろめたさ」に対する「罪滅ぼし」ゆえに、子供に不必要なまでの支援をしたのかな?
しかし、その父親本人がどうして離婚したのか?離婚するような結婚をしたのか?
それを伝えた方が、子供にとってサポートになるのでは?
結局は、永田さんは父親と同じように離婚することになる。まさに「離婚の連鎖」。

本来なら、そうならないように支援するのが先なのでは?
永田さんの父親からの支援は、子供のためというよりも、父親自身が自分を納得させるための支援に近い。

永田さん自身は実に優秀だし、実父からの「至れり尽くせり」のサポートもある。
だからこそ、実際に何でもできてしまう。しかし目標を達成しても、「ボクって何なの?」「ボクはお父さんの人形じゃないのかな?」と深層心理的に悩み続けていたのでは?

彼は、父親が引いた完璧なレールの上から必死で外に出ようとしたわけ。
しかし、父親はすぐに先回りして、完璧なレールを引いてしまう。
その完璧なサポートゆえ、それが心理的なプレッシャーになってしまう

彼のいささか素っ頓狂な行動も「ボクはお父さんの人形じゃないんだ!」という叫びを背景に見てみると、意外にもすんなり理解できるでしょ?
その内心からの声なき声に対し、彼自身が耳を傾けていたら、あのようなカタストロフにならなかったのでは?

(終了)
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発信後記

ちなみに、私としてはあらゆるトラブルを、ダメダメ家庭と関係付けて説明するつもりはありません。あるいは、様々なジャンルの芸術作品を、ダメダメ家庭の観点だけで説明するわけでもありません。

購読者さんから「この作品は、ダメダメ家庭の問題を扱ったのでは?」などと作品を紹介されたこともありますが、「その作品は、別の見方の方が適切でしょう。」と回答したこともあります。

芸術作品を考えているのならともかく、自殺のような事態となったら、やっぱり家庭問題を抜きには考えられない。
だって、自殺するということは、家族に相談できないという事態が発生しているわけでしょ?例えば、昨今の経済情勢の深刻化による自殺と言っても、「家族に相談できない」という面を抜きに議論しても、トンチンカンな議論になるだけ。
家庭問題が主なのか従なのかはともかく、潜在的には大きな要因なんですね。
R.10/12/16

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