読書録:「メイカーとスタートアップのための量産入門」(と「ハードウェアハッカー」との対比-メチャメチャ面白いのでどちらも読もう)

おそらくこの本を読む人の多くがバニー・ファンの「ハードウェアハッカー」(拙訳、山形浩生監訳)をあわせて読むと思う。結論を先にいうと、片方を読んだならどちらも楽しめるのは間違いない。と感じた。
少なくとも僕はこの本を心待ちにして発売日に買った。それどころか、僕は先行販売のメイカーフェア東京で出展者として開場前にいて、レジが開くと同時に買ったので、ひょっとするとお金を出して買った一号読者かもしれない。感想を書くのは今になってしまったが、期待を上回る面白さだった。

メイカーフェア東京での先行販売を、レジが開くと同時に購入した

■モノづくりの職人が蓄積された経験を正しく記述したもの

メイカーとハードウェアスタートアップのための量産入門」は、様々なハードウェア開発をしてきた小美濃さんの経験が丁寧な編集で正しく記述されている本だ。

製品企画、電気まわりと機構まわりの設計、見積もりや外注先のコントロール、販売に至るまでの全体を、豊富な経験と具体的なスケッチをもとにして説明しているこの本は、「量産するとはどういうことか」についての全体像を見通すよいガイドブックになっている。
サマリとして抽象的にまとめられているわけではなく、それぞれのトピックで語られる内容は、この図で見るとおりきわめて具体的なものだ。

メイカーとハードウェアスタートアップのための量産入門」の、電気配線についての1節。こういう具体的な記述と図に満ちている

バニー・ファンはハードウェアを学ぶことについて、「ハードウェアでは知識が正しく蓄積されていく。僕は高校の頃に習ったファラデーの法則、子供の頃に学んだハンダづけ、大学で学んだマクスウェル方程式、他に基板デザインのAtriumや3D CADのソリッドワークスなどでいまも仕事をしているが、ソフトウェアだとその間だけで出てきて消えた技術の、名前だけをおぼえるだけでも大変だ。」と講演で語っている。ソフトウェアの世界では昔のスタンダードを持ち出すとしばしば老害になるが、物理現象を相手にするハードウェアでは、経験が積み重なっていくことを説いた言葉だ。

同じことがこの本にも言える。書いてある事例は数十年前のオモチャから、現在のMicro:Bitでコントロールするガジェットまで出てくる。そのすべてがハードウェアで、同じ物理法則で成り立っている。つまり、この分野では知識は正しく積み重なる。

■「ハードウェアハッカー」は様々な寄り道が魅力

ハードウェアハッカーはこの本の倍近くのボリュームがある大著で、かつハッカーで研究者でもあるバニー・ファンの興味はより多岐にわたっている。たとえば中国のコピー製品「山寨」がどういう経済システムや知財に関する詳細な考察が行われ、著者のバニーがガジェットchumbyの部品であるSDカードを掴まされたことをきっかけに、深圳の電気街でニセモノSDカードを買い集め、チップを開封して顕微鏡で製造工程を検証し、KingstonやSandisk,Samsungといったメモリカード製造業者のエコシステムと中間業者がニセモノを混入させるまでのエコシステムに潜っていく。

あるいは、ソフトウェア的に難しいセキュリティ破りが、ハードウェアも手段として備えることでコロンブスの卵的にハックできることを証明するために、マイコンを物理的に開封してセキュリティビットに紫外線をあて、チップ内の情報を読み出したりする。そうした「ハックのためのハック」、融通無碍なハードウェアいじりの知的好奇心と優れたスキルは「ハードウェアハッカー」の一つの魅力だ。電子回路、射出成形、木材を組み合わせて丈夫な材料を作る技術、知的財産、資金繰り、果ては遺伝子工学まで好奇心の赴くままハックするバニーのバイタリティと、「どんなことか深く知りたい」という知的好奇心は多くの読者の共感を呼んでいる。

ハードウェアハッカー感想の多くが「これ、自分は(一部)わかるしメチャメチャ面白いけど、読んでわかる人は少ないんじゃないか」というものだ。それはそのとおりではある。しかしバニーの感じている知的好奇心や興奮は、面白がって本を読むような人がみな備えているようなものだ。そして著者の社会や人間性含めて徹底的に考察していく透徹した姿勢は、このブログのように中国社会に関心がある人からも多くの関心を集めている。

ハードウェアハッカーはその意味で著者バニーが面白がるものが様々に詰め込まれたオモチャ箱のような本で、一貫した「ハードウェアハック」というテーマはあるものの、全ページを細かく理解することは難しいし、そうした本ではないだろう。「よくわかんないし、無関係に思えるテーマも多くてきちんとわからない(ので読む気がしない)」という感想も多く、僕は同意しないけど理解はできる。

■「メイカーとスタートアップのための量産入門」実務家としての魅力

ハードウェアハッカーはそうした、バニーの経験や思考をぶちまけた雑多さが魅力でもとっつきにくさでもあるが、「メイカーとスタートアップのための量産入門」にそういった雑多さの対極にある、量産についての仕事一覧を丁寧にまとめた、よく整理された本だ。ハードウェアの製造に関わる仕事はとても多岐にわたるので、限られた紙幅で説明し切れているかどうかはともかく、すっきりと全体を読むことができるし、「どこからどこまでが仕事なのか」「どういうプレイヤーがどういう役割で関わっているのか」「予算やタイムスケジュール」などが把握できる。

こうした簡潔な記述は実務家らしいスタイルだと感じる。同じテッキーなエンジニアであるバニーと違い、この本は寄り道をしない。

著者の小美濃さんは大変な経験をもち人間的にも魅力ある人なので、本の端々にでてくる具体的なエピソード、たとえば「中国の取引先との宴席にはどういう人が出てきて、席ではどう振る舞うべきか」などはことごとく面白い。またそのトピックの多くが一般的に言われてる中国にたいしての聞きかじりとは真逆の、実際に体験した人でないと出てこない深みがある。「日本の工場との取引は中国に対するよりも現場合わせがしづらく、事前に厳密に決めておく必要がある。そのわりに約束事に対して曖昧なところがあり、何でも納期とコストのトレードオフになりやすい。中国の工場のほうが’一緒に良いものを作りましょう’というパートナーになりやすい」という記述なんかは、これだけでまるまる1章ぶんのブログになりそうなテーマではあるが、本では上記ぐらいであっさり終わってしまう。「東莞は深圳よりさらに南」(実際は北。海から遠いせいか、たしかに深圳より暑い気はする)という記述があるなど、実務と関係ない部分は極力刈り込まれている。個人的はそういう部分もメチャメチャ面白いので、できれば続編なりスピンアウトなりで、もう一冊書いてほしい。

その意味でタイトル通り「メイカーとスタートアップのための量産入門」としてキッチリと具体的にまとまっている。経験則と数式や物性で説明できるところは分けて、専門用語やベースになっている理論の説明などもわかりやすい。「わかりにくい幅広いことを、実際にやったことある人がわかりやすく説明した」という点ですばらしい。

小美濃さんとの初対面は、日本での学研本社だった。二人で深圳の話で盛り上がり、時間を超過して雑誌の付録などを見せてもらいながら半日ぐらい一緒にいた気がする。たぶんおぼえていないだろうけど、「なかなか、そういう裏方のモノづくりの話を面白がってくれる人がいなくて。。」という話を受けて、「ハードウェアハッカー」を翻訳中だったことや、「体験を伝えるために本を書いてほしいなあ」と話したことがある。

次にお会いした時は、小美濃さんが射出成形工場に出張するときに同行した東莞市だった。工場でのやりとりも宴席でも、終始話が面白くてとても勉強になった。メイカーフェア東京での講演も非常に面白かったし、今後の活動を楽しみにしている。

そして、「実際にこういうことをやった、これは成功してこれはうまくいかなかった」ということを語る人たちがもっともっと出てきてほしい。

完成した「ジェットモグラ号」を手に、メイカーフェア東京での講演。敷いてある布に意味があり、しかも見栄えがする色にしてある。どういう意味かは本書を読めばわかるが、こういうのも職人の仕事だと思う。

--

--