勉強好きは学び好きとは限らない?学びの浅い先生は○○○に走る

Yuh Etoh
3 min readDec 31, 2016

--

大分から教育を変える、スーパー教育主事、大分の土井さんに出会ったああ!

「今一番会いたい人!」と言ってくださっていて、帰省するタイミングで祖父の家までわざわざ迎えにきてくださいました。

こんにちは。江藤由布です。教諭をしながら、オーガニックラーニングで人生の経営者を育てています。

土井さんと話していて意見が一致したこと。それは、ICTでも学び合いでもない、先生に本当に必要な要素について。そう、世間は目に見えやすい方法論や成果指標に走りがちだけど、実は先生の深さ、懐であったり、教養であったり、慈悲であったり、想いであったり、その深さが一番大事なんだということ。

最近、○○塾とか、教育の手法に関することばかりが取りざたされるのは、先生自身の浅はかさが原因なんだろうと思います。学校の先生は、自らが生徒・学生時代に勉強でさほど苦労していない人が多い。本人がどう言おうと、一般的なレベルと比べると「勉強好き」な人たちなのです。特に小学校の先生の場合、国公立の教育学部に進学し、特に学校教育に疑問を持つことなく先生になっている人が圧倒的に多いと言えます。

団塊の世代が大量に退職した今、そうでなくても人生経験の浅い先生が増えています。20代が圧倒的に多い地域もある。年齢から来る人生経験の浅さは、仕方がないとしても、その人たちに、

「趣味について話してみて」

「教育への想いは?」

と聞いてみても、静まり返ってしまうのだそう。

学び=遊び

思い切り、学びを遊ぶことをできない人が先生になると、どうなるか。

「意識高い系」は○○○に走ってしまうのです。

それは、

カルト

宗教ではないにしろ、全く同じような方法論を全国展開するグループの虜になってしまう。結果、どの教室をのぞいても、似たような授業デザインで似たような教室運営をする人ばかりになってしまう。学級で特に問題が起こらなければいいと言うものではありません。現場には、見る限り、「お勉強」は得意でも、学びの系譜がほとんどない根の浅い先生がたくさん。「お勉強」だけで来た人が「学び」が得意だとは言えないのです。

先生に何よりも必要なのは、学びの先輩としての背中。それが同じだったら?と思うとゾッとします。ならば、どうしたらいいの?

学べばいいのです。

音楽や、農業、異業種のセミナー、哲学カフェ、読書会、フェス、さらにはそれらを開催する側になれば学びは何万倍。時間があれば、どんどん人と繋がり、新たな化学変化を起こして行く・・・農業では、自給自足、味噌も豆腐も自分で作り、歌はプロ級な土井さんは「学びの天才」だからこそ、こうして教育改革をどんどん進めても枯渇しないのでしょう。

先生たちに、ビジョンと根っこを。

深さを追求しよう。

教養・想い・懐・慈悲…

2017年は出かけよう。読書も含め、過去・現在・未来との対話を通して教育を豊かに。

土井さんと出会って、ちょっと明るい未来が見えて来ました。

故郷の大分県から教育が変わることを目の当たりにした日でした。ありがとうございました!

--

--