学校教育の役割は、知識の伝達よりも、豊富な〇〇体験の機会

今春より、本校は校長が変わりました。

以前、教頭として本校にいた先生が、

5年ほど前に、附属小学校の校長になられ、

今年、校長として戻ってこられました。

故・岡崎先生が10年弱校長を務めてこられたので、

本校に大きな変化の予感がします。

さっそく、昨年度から決まっていた大きな変更の、

ちゃぶ台をひっくり返しはったそうです。

***ここからは、伝聞の話です。

附属中学校に、

将来的に難関国公立大学へ受験するような、

高い学力層の生徒をとるためのプランが1つあったのですが、

そんな事は時代に合わないと。

もはや、合格実績を学校のウリにする時代じゃない、と、

ひっくり返しはったそうです。

おっしゃる通り!!!

ましてや本校は大学附属校です。

校長がおっしゃるには、

技術の劇的な進歩とグローバル化で、

時代がドラスティックに変化する中で、

必要な価値観や技術や知識は変わってくる。

でも、何が必要になってくるのかは、

誰も分からないのも、確か。

であれば、必要になるものが分かったときに、

その習得に向けて取り組める人物であることが大事。

そのためには、

高校生のうちにどれだけ「成功体験」を積んでいるか、だと。

***ここまでは伝聞です。

その通りです!!

学校長が、こういう事を仰られる方とは知らなんだ。

(昔は、そんな感じじゃ無かった気が、、、)

けど、あえて、反論すると、

私は、

「成功体験」よりも「失敗体験」が大事だと思います。

あまりにも積み重なった成功体験は、

“昔取った杵柄”になるし、過信になるし。

新しいチャレンジをする事への妨げになるんとちゃいますかね。

本校におられる先生の、ほぼ全ての方は、

色んな成功体験を持たれています。

自分自身の受験やクラブの実績、

教師としての進学実績やクラブの実績など。

その成功体験が、新しいチャレンジへの、

足枷になってるような気がしてなりません。

自分の勝負するフィールドは、これだけ!って。

私は、失敗体験が好きです。

死ぬほど努力してチャレンジして、でも満足いく結果が出ず、

そんな事を繰り返してると、

失敗した時の心に痛みに、慣れていきます。

ちょうど、バレーボールのレシーブが痛くなくなってくように。

そして、痛さという、極めて感覚的な部分が薄れていくと、

むしろ、

なぜ、失敗したのかを、ただただ冷静に分析できるようになっていきます。

そして、失敗が財産になります。

成功や失敗は、努力や才能だけが決定要因だけではありません。

「運」という要素の影響も大きいです。

成功した時は、気分が高まって、嬉しくなって、

なぜ成功したのか、なんて、冷静に分析しませんよね。

そこに、「運」の力があって、まったく自分の力ではない事もあります。

成功を繰り返したって、それに慣れて、喜びを感じなくなる事もないし、

むしろ、成功に喜びを感じられなくなったら、むちゃ寂しい人生になるし。

だから、成功体験ばかりを繰り返さない事です。

イチローが、4000本安打を達成した時の会見が大好きで、

生徒にもよく紹介する話なんですが、

イチローにとっては、4000本安打よりも、

記憶に残ってるのは8000本以上の“悔しい思い”なんですよね。

「悔」という字の成り立ちは、

「毎」度のことを、「心」に留めておくことです。

「代打の神様」より、「1番バッターの安打王」。

誰よりもたくさん打席に立ち、

誰よりもたくさん凡打して、

誰よりもたくさん悔しい思いをして、

誰よりもたくさん失敗から学んで、

誰よりもたくさん打席に立つことを恐れない私であろうと思います。

1番バッターって、

バレーボールのセンターに似てるかも。

誰よりもたくさんトスを呼んで、

誰よりもたくさんブロックを飛んで、

そう思うと、自分は1番バッター向きなのかもしれません。

近高の1番バッター・神野でまいります。

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