よく寝る=編集者
こちらは「言葉に関するアドベントカレンダー」の16日目の記事です。昨日の記事は以下でした。
さて、このところはテクニカルな、というか、すぐに使える具体的なTIPSみたいな話が続いたので、今日は少し曖昧なというか、抽象的な話をしたいと思います。
よく「文章を寝かせる」とか「原稿を塩漬けにする」みたいな表現を聞きます。ぼくが初めて「塩漬け」を聞いたのは、たしかまだ今ほどは売れていない頃の内田樹さんのブログだったと思います。
ようは文章を最初にバーっと書いてみて、一旦それを引き出しなどにしまって、何日かしてから読み直す、みたいな行為のことですね。
一旦書いた原稿を引き出しにしまっておいて、後からまた続きを書く、みたいなことは、たしか村上春樹さんもどこかで言っていた気がします。(出典を調べる余裕はありませんが・・)
たしかにこれは効果的というか、たとえば1時間で書いた文章をプラス2時間かけて直していくよりは、翌日に30分ぐらいで直した方がずっと意味のある推敲ができるという感覚があります。
これはけっこう奥が深い話で、結局意味のある推敲とか、良い書き直しというのは、複数の人間による視点、言い換えると「客観性」をもって初めて実現することであるように思えます。
午前11時から午後2時までひと息に書いても、それを書いているのは一人だけで、でも翌日に見直してみると二人目の視点で続きを書ける、という感じがします。
創作に関してよく言われるのは、「合意を取りながらクリエイティブなことなどできない、独裁でなければいけない」みたいな話で、それはそれで真理であるように思えますが、こと文章の執筆においては、複数の異なる視点が欠かせないように思えます。
というか、読み直したり誤字を修正したりしている時点で、すでに複数の視点というものは生じているわけですが。
複数の視点が必要であるという状況の裏側には、読者の存在があるように思えます。
もともと書き手は言葉ではない何か(概念)を他人に伝えようと思って言葉を選び取るわけですが、最初はその言葉がAタイプの人だけにわかるような仕方で書かれていて、Aタイプの人には伝わるんだけど、それ以外の人には伝わらないからということで、じゃあ推敲の段階でBタイプの人にも同時に伝わるように書き直しましょう、みたいな状況があるように思います。
そしてこの「最初はAタイプの人を想定して書いていたけど今度はBタイプの人にもわかるように書く」というためには、その切替えの時間というか、工程が必要で、そこで冒頭に書いた「寝かせる」とか「塩漬け」みたいな行為が出てくるのかなと思います。
そしてまた、そう考えると、寝るのは原稿ではなく自分の方ですね。一晩経って別物になるのは、文字に固定化された概念の方ではなく、昨日のことはいくらか忘れてしまった自分の方でしょう。
よって実際には、「自分を寝かせる」とか「頭を塩漬けにする(そして後でそれを取り出す)」と言った方が実情には近いかなという気がします。
ちなみに、寝かせるだけの時間がない! という状況は往々にしてあるわけで、寝かせなくても(相応の時間を経なくても)複数の視点を使って文章を仕上げていく方法として、「編集者とタッグを組む」ということがあるのだと思います。
技術書なんかだと、よく工程の終盤になってレビュワーさんに読んでもらう、みたいなことをしているようですが(Twitterでそういう話を見かけます)、これもまさに物理的に視点を増やす方法としてあるのでしょうね。
そうやって実際に人を(視点を)増やすことによって、限られた時間を節約できるというのが編集者の大きな存在理由だよな、とよく思いますし、逆に言うと人生が3千年も4千年も続かない、限られたものであるからこそ編集者って有用なのかな、という気もします。
あとはぼくの場合、時間を置かずに新しい視点を獲得する方法として「文章を眺める媒体を変える」というものがありますね。
単純なものだと、PCのモニターで書いていた文章をプリントアウトして紙で読むとか。あるいはエディタで書いていたMarkdown形式の文章をHTML化してブラウザで読むとか。あるいはさらにそれをスマホのブラウザでも読んでみるとか。
(この辺、直近の仕事で実際何度もやったので、忘れないうちにまとめておきたいと思っていますが、時間がかかりそうなので別の機会に・・)
本日は以上です。ちなみに、この文章は日曜の夜中に書いていますが、翌月曜の朝に読み直してから公開する予定なので、一応2人分の視点を通したものになるはずです。少しでも改善されれば良いですが・・。