スタディホールは、孤独を“co-独”にする

「プロジェクト」という言葉は、「デザイン」という意味も含むという。ヴィレム・フルッサー『サブジェクトからプロジェクトへ』では、「都市をデザインする」「家族をデザインする」「性をデザインする」というとき、projektという単語が使われていた。

正確には「投企」という哲学的な訳語があてられていたのだが、僕はその言葉を気に入っている。プロジェクトとは「企(思いついたこと)」を「投する(社会に問う)」ことであり、一石を投じることである。プロジェクターはアイデアを投映する。「マイプロジェクトを持つ」とは、受信する人から発信する人への不可逆的な変態である。

グリーンズ著『ソーシャルデザイン』(2012)にもインタビューを掲載させていただいた井上英之さんがマイプロジェクトを広げてきた軌跡は、greenz.jpの成長とも重なる。いまなお定番コンテンツのひとつが「マイプロSHOWCASE」であり、「ほしい未来は、つくろう」とは、「マイプロジェクトは、持とう」とほぼ同義である。

何かを否定するよりも、その悲しみや違和感を大切な熱源として、まずは自分でつくってみる。それが本質的な解決策だったとき、きっとみんなが真似をはじめる。アイデアはオープンソースで共有されると、地域や世代などあらゆる局所的な諸条件によって個別に進化を遂げ、社会全体が底上げされる。

「変える」から「変わる」へ。その起点となるのが、わたしである、ということ。マイプロジェクトをつづけていると、ふとこんな革命的な気づきに至ることがある。

たまたまの確率を高める、マイスタディのすすめ

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京都精華大学の授業でソーシャルデザインを教えるとなったとき、カリキュラムの中心に据えたのが、マイプロジェクトだった。しかし、なかなかプロジェクトを生み出すことは容易ではない。勇気も自信も必要である。勇気は素直な自分で居られる安心できる場で育まれ、自信はといえば、実験やそれによって得られた内からと外からのフィードバックの量に比例する。

だからこそマイプロジェクトの前夜に必要なのはリサーチ(下調べをすること)とプロトタイピング(試すこと、試行錯誤すること)であり、それこそがマイスタディである。

一周ではなく何周もすること、そしてふと誰かのウォンツと結びついて「やるしかない」と発起したとき、必然的にプロジェクトは産声を上げる。誰にインタビューをしてみても、口を揃えて出てくる言葉は「たまたま」である。その確率を実際の工夫として高めたいのである。

仏教では独学によって悟りを目指すものを声聞、一時的に悟ったものを縁覚という。立場に拠っては「独りよがり」と否定の対象となるが、空海はさらなる仏道の入り口としてその段階を肯定する。そこからが真なる大きな道のはじまりである。

スタディホールのターゲットは、どうやら愛すべき独学者たちのようだ。スタディホールは独学者の孤独を、co-独にする。21世紀はco-autodidactが初めて可能になった、人類史的な変革の時代なのである。


\お知らせ/
次回の「【シリーズ講座】”スタディ習慣”のつくり方」は、2017年2月4日(土)午後に開催します!
京都タワーなどのBGMも手がける大学教授・ピアニストの小松正史さんをゲストに、場の可能性を引き出すフィールドワークの作法について学びます。ぜひ遊びに来てください◎
http://www.wacoal.jp/studyhall/school/event/article68518