遅筆だった僕を変えた、原稿用紙と鉛筆のこと

原稿用紙に向かうなんて、四半世紀ぶりくらいだろう。自分の鉛筆を持ったのもそれぶり、か。鉛筆を削る時間は、硯で墨をするときと似ている。これからはじまる、呼吸と集中の合図。

37回目の誕生日のプレゼントに、原稿用紙と鉛筆を選んでくれたのは妻だった。「文学賞が取れる原稿用紙」として名高い満寿屋のもの。愛用した作家には、小林秀雄、高村光太郎、三島由紀夫らが名を連ねる。どうやら名入れもできるらしい。それはいつかの節目にとっておく。

鉛筆はパロミノのBLACKWING。こちらはオスカー賞、ピュリッツァー賞などを受賞した人たちがアイデアを書き留めたという伝説を持つ。僕のミーハーさ、型から入るっぷりを見事にわかってくれる素敵な贈り物だったが、これが予想以上のブレイクスルーとなるとは、そのときはまだ思ってもいなかった。

というのも、僕は手で書く習慣が全くなかったのだ。だから、象徴的ではあっても、本当に自分のものとなるとは思っていなかった。そういえばかつて後藤繁雄さんの編集学校に通っていたとき、後藤さんは「キーボードでは文章は書けない」とはっきり言っていた。どうも文字に気持ちが乗ってこないと。若かった僕は反論した。「僕は魂を込めて、エンターキーを押しているんです」

でも、そういうわりには僕自身は遅筆で、ひと一倍、自分の原稿に厳しく、余裕があれば推敲に時間をかける癖があった。自分自身、量は書けないと思っていた。それが最近の連日の、すし三昧のポストである。これを可能にしたのが原稿用紙と鉛筆だった。

伏線はあった。どうにもこうにも塞がっていた12月、3年日記なるものを買って、毎朝モーニングページをするようになった。そしてノートを持ち歩き、暇ができたら本を読んだり、スマホをみるのではなく、白紙のノートに向かって考えごと=スループットをすることにした。そうするうちにパソコンと手で書くことの違いを、はっきりと感じはじめていた。そんなときに偶然か必然か、原稿用紙と鉛筆が手元にやってきた。「うまくいかないかもしれない」と妻に断りつつ、半信半疑で実験してみたのだった。

そして最初に書いたのが、年末に書いたこの文章である。余裕で800字をオーバーしたが、書いている実感があった。自分のなかで震えが止まらず、その感動をすぐに妻に伝えた。「これなら、書きつづけられるかもしれない」

とはいえ工夫は必要である。まず、書きたいことはノートやツイートを通じて、ある程度スループットしたもの、アイデアがまとまっているものとする。そこまできていれば、あとは脳の赴くままに筆を走らせる。打ち間違いも、変換ミスも、あらゆるブレーキがない。

筆圧が強いので、200wごとに鉛筆を削る。それはそれで人生の小休止である。こうしてプリミティブな生声としての初稿は、純粋なままに紙に定着し、流れるように800wが書き終わる。ものの5分。遅筆だったのはツールとの相性がそうさせたのであって、原稿用紙と鉛筆という幼いころに馴染んだ懐かしい文房具は、僕を最大限に解放したのだった。

つづいて初稿をキーボードで打ち込む。このときファクトを確認したり、言い回しを整えたり、補足をいれたりする。こうして完成した二校は、そのままmediumにアップする。ブログにコピーして公開する。Facebookに、エピソード付きで投稿する。自動でTwitterでも反映される。もろもろ終わって、原稿用紙はくしゃくしゃにしてポイっとする。

800wは正直短いが、読了時間3〜4分とすれば悪くない。本当は止まらないし、まだ書ける。既に50wほどはみ出している。この程よくはみ出すことを許容する余白もまた、紙ならではのよさである。

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