あしあと

Mao Kusaka
exploring the power of place
4 min readOct 19, 2019

恵比寿、と聞くと冷たい風と温かいジンジャーティーを思い出す。

そんなことを考えていたのは、先週末、恵比寿駅で降りたときだ。待ち合わせ相手に指定された場所へ向かいながら、1回も降りたことがないはずの駅なのにも関わらず、周辺の位置関係を把握している自分がいることに気がつく。オフィス街や、大手ビールメーカーといったイメージが挙がりそうなものが、なぜか寒さと熱さが入り混じったその記憶が頭によぎるのだ。それは、数年前のあの日からなのかもしれない。

教職を志していた私は週に1度、三田にある大学のキャンパスに湘南の家から通っていた。上京して1年目の私にとって、起き抜けのぼうっとした頭を抱えながら、7時台の上りのJR東海道線、山手線と、凄まじい通勤ラッシュを行くのは難行かつ苦行だった。そんな中、私が東京へ出向く細やかな楽しみとなっていたのは、授業後の散歩である。毎度一緒に歩いてくれたのは、入学式ですぐに意気投合した文京区出身の友人だ。偶然、彼女も教職過程を取るとのことだったので授業を一緒に受けていた。普段の湘南の山合いのなかにある閑静なキャンパスとは勝手が違い、都心の人数の多いその教室では彼女が唯一の友人だった。慣れないキャンパスでの授業が終わると、すぐに教室を出てまちへ繰り出すのが私たちのお決まりになっていた。都内で生まれ育った彼女を先導に、東京を歩く。

その日は、東京タワーを背後に感じながら、ひたすら西へ歩いていた。11月も半ばだったからか、手がかじかんでスマホで位置情報を調べるのも億劫になるほどの寒さだった。歩き始めてから30分くらいしてからだろうか。暖かい場所と食べ物を求めて、鍋屋さんを探していた。もうすでに日は落ちかかっているのにも関わらず、どこも17時半から開く店ばかりで入店を断られる。仕方なしに、近くにあったアンティークショップに入る。それでも時間があったので、駅前の猿田彦珈琲に入ってお茶することにした。平日だというのに店内は満席で、私たちは季節限定のジンジャーティーを受け取ってテラス席で飲むことにした。さすがにこの寒空の下テラス席にはだれもいない。私たちは、着ていた上着のジッパーを一番上まであげフードまでかぶって、湯気のでる熱々のカップを持って寒さをしのぐ。2人して同じことをしているその様子がおかしくて何度も写真を撮っていた。17時半になり、近くのもつ鍋屋へ移動する。当時19歳だった私たちは、再び温かいお茶で乾杯した。見慣れないまちで、はじめて安心した瞬間だった。

あれから数年経った今、もう教職課程は受講していない。1年ほどして、彼女も辞めたと聞いていた。それからも交流があったはずなのに、半年前に北欧に留学に行く、と聞いて以来全く連絡を取らなくなっていた。しかし、先日偶然例のテラス席の前を通り、あの時は恵比寿を歩いていたのかと、記憶が繋がったと同時にふいに懐かしさが押し寄せる。思い立って、彼女とのLINEの経歴を遡ってみた。しかし、会話の記録はもろとも、そのアカウントすら「unknown」と表示されるだけで消えていた。その後も色んな場所へ彼女に連れていってもらったという記憶はあるのに、オンラインで共有されていた写真もみることはできない。なんとなく、あの日の思い出が手元に残らないことにあっけなさを感じた。

上京してからずっと、恵比寿みたいな大都市は変化のまちだと思っていた。新しい店や建物が出来ては、盛り上がり、移転を繰り返す。実際そうなのだろう。しかし調べてみると、意外にも猿田彦珈琲と同じように、あのとき訪れたアンティークショップやもつ鍋屋さんは変わらずそこにあるらしい。もしかすると、変化するのはまちではなく人そのものなのかもしれない、とふと思う。だからこそ訪ね、歩き続けることで、また恵比寿というまちでの記憶を自らの体にまた刻んでいきたいと考えていた。

2017年11月20日の恵比寿ガーデンプレイス前のツリー。唯一残っていた写真だ。

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