あの出来事から

Mariko Yasuura
exploring the power of place
4 min readOct 9, 2017

最近になって、もう夏の不快な暑さがなくなってきた。今の季節は、心地 よい風とカラッとした空模様のおかげで、なにをするにも、どこへ行くにも身体が軽く感じる季節だ。この時期の自分はどんなことにも挑戦できて、どんなことにも精力的に頑張れる気がする。だから私は今の季節が大好きなのだが、この季節になると、人生初のアルバイトを始めた頃のことを思い出す。

私が初めてのアルバイトとして選んだのは外資系のカフェだ。そのお店のブランドに対する憧れと、よくそのお店を利用するからという理由で働かせてもらえることになったそのお店は、働き始めの人に対しての研修制度がしっかりとしていて、教育方法もかなり体系化されている。初めの頃は覚えることが沢山あってとても大変だった。今だから言えるけど、大学の授業中にレシピを暗記したりなんかもしていた。大学一年生のあの時は、アルバイトを中心に私の生活は回っていたように思う。そしてその研修期間を終え、働くことに慣れてきた頃、一人で様々な仕事を任せてもらえるようになって、仕事に対してそれなりに自信もついてきた。

そんなときにある出来事が起きた。「あなた日本語通じないんですか?」とすごく不快な思いをさせてしまったお客様に言われたその言葉を今でも忘れられない。人生で初めて罵倒されたと思って、悔しさと悲しさと恥ずかしさから、働いていて初めて涙を流した。具体的に何があったかというと、レジでその人がドリンクを注文をするときに、彼女が欲しかった情報に対して、私が端的に答えずにまわりくどい説明をしてしまったのだ。私は良かれと思ってしたことだったが、相手にとってはその私の行動が本当に求めていたものではなかったのだ。「こんな風に伝えれば相手も喜んでくれる」という自分の傲慢な態度のせいで、相手を不快にさせてしまった。この経験を通じて、当時の私は人との関わり方を改めて考えた。アルバイト先で出会う人々の多くは、今までもこれからも知り合いの一人になることはない人々たちだ。そんな人々とのコミュニケーションの難しさをその出来事を通じて初めて感じた。自分は人見知りをしない方だから、その辺うまくこなせるだろうと自負していた分、その出来事にはかなり落ち込んだのを今でも鮮明に覚えている。

アルバイト先のすぐ近く

あれは自分にとって初めての経験だった。働いて初めて経験した大きな失敗とも言えると思う。あの出来事から時が経って、そのほかにもいろんな失敗を積んできた。今ではお店のなかでそれなりの古株にもなってきて、高い地位にもなったが、あの時の記憶は私のなかでずっと生き続けると思う。けれどその記憶をただ「失敗した」という安直な記憶にとどめておきたくない。実のところ、当時の私は、「せっかく説明しようと思ったのに、嫌なお客さんに当たった」とさえ思っていた。とても幼稚な感情を抱いてしまっていたのだ。だが、いまではそんな風に思ってはいない。あのお客様もお客様なりに色々な事情を抱えてお店に来たのかもしれない。もの凄く急いでいたなかで私に質問したら、くどい言い方で答えが返ってきたから、気分を悪くしてしまったのかもしれない。いまの自分ならば、そんなふうに想像力を働かせることができる。それはあの時の幼稚な考えの部分を切り捨てて、「学び」として残りの部分を大切に自分のなかに保管することができているからだ。

生きてゆくとはこうして失敗と学びを繰り返してゆくことなのかもしれないと、その一連の行動の大切さを改めて感じた。自分にとって嫌な出来事があった時、そこにはなんらかの未熟な自分が存在するはずだ。その未熟な部分を切り取り、成長するための大事な部分を残すという行為を繰り替えし、自分のなかに蓄積させてゆくことが、人生において大切な気がする。未だ多くの経験を積んでいないわたしには、これからもっと辛い経験や嫌な経験をするだろう。けれどその度に、幼稚で未熟な部分の自分を取り除き、成長した自分を残してゆけるようにしていきたい。

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