ひとときのふたり暮らし

Yoko Takeichi
exploring the power of place
4 min readDec 10, 2016

年末の帰省シーズン、一足先に愛媛の実家に帰る両親に置いていかれた。残った弟と私は、数日間の2人暮らしを経験した。料理と洗いもの、水やり、洗濯に、ちょっとした掃除。基本的には気付いた人がやったけれど、食事当番だけは担当を決めた。洗いものや洗濯は私が多い。水やりや、食事の計画は弟から提案されることが多かった。

2人暮らしはおおむねうまくいった。

一度、私が家の鍵を忘れて出かけてしまったことがある。夜通し学校で卒業論文を書き帰宅すると、玄関のまえで鍵を忘れたことに気が付いた。インターホンを何度も鳴らすと、弟が鍵をあけてくれた。うるさいインターホンで目覚めた彼は機嫌が悪かったから、私は助かったと思いつつもちょっとだけムッとしてしまった。

また弟が、午後からのバイトで使うエプロンを洗濯して持っていくと言った日があった。朝8時のアラームで一度起きた彼は、洗濯スタートのボタンを押すだけ押して二度寝をしてしまった。結局、もう少し寝られるはずだったのに起きてしまった私が、洗濯機のすみでしわくちゃになったエプロンをいそいそとベランダに干した。

私たちは、年の暮れに向けてせっせと冷蔵庫の食材を片付けた。大晦日には、2人である料理をつくることが決まった。冷蔵庫の中身を完全に空にするためのメニュー、納豆入りオム焼きそばだ。

キャベツと玉ねぎを切って、炒める。細かく切ったソーセージを入れて、麺をほぐし、納豆を入れ、ソースで味をつける。最後に卵を溶き、まるいフライパンで薄く焼いて麺にかぶせ、出来上がりだ。よく育った我が家のベビーリーフでサラダをつくり、添える。悪くない味だった。

年越しそば代わりのオム焼きそば

先日、自動車免許取りたての弟が、私だけにある相談をしてきたことがある。友だちを乗せて車で旅行に行きたいというものだった。深夜に運転して海ほたるの夜景を見に行き車中泊をして、翌日千葉でもう一泊して帰るという。

両親は心配性で、弟にまだ親なしの運転を許していない。そのため両親には内緒で夜に出発する予定だという。慎ましくおとなしく高校生活を生きてきた弟から初めて聞くはっちゃけた、青春っぽい話だった。わたしは純粋に、相談をくれたことに、ありがとうと思った。

その夜、弟は手紙を置いて旅立った。言いたいことはたくさんあったが、どうか事故にだけはあわないでくれと祈ることしかできなかった。

二日が経ち、弟は無事に家に帰ってきた。

昔はただ小さかった弟が、最近では、なぜかたまに友人のように感じられるときがある。私より丁寧で、しっかりしていて、真面目な彼。いつもは優柔不断なくせにどこか達観しているところもあるから、ぐじぐじ考えている私にたまに割り切ったアドバイスをくれる。私は、3歳年下の彼に対して、手を差し伸べなくてはいけないと上から目線だった自分に、恥を覚える。

たいてい遊ぶときは、ソフトボール。

私は最近まで、兄がいたらなあと思うことがあった。きょうだいの上の子は、親の決めたルールに則って生活する。たとえば門限や、友だちとのあそび、進路の決め方。それらの暗黙のルールに不満を抱き始めると時間をかけて徐々に突破口をつくるのだが、下の子は、上のつくってくれたその穴を広げるだけでいい。それに、上にきょうだいがいるだけで、勉強でわからないことを聞ける。スポーツは一緒にやると鍛えられる。相談事は親より打ち明けやすい。模範になろうが反面教師になろうが、いて損はない。

でも今私には、一緒にごはんを作り、楽しかったことをペラペラと話し、ちょっとそこらへんでキャッチボールができる、なんだか放っておけない友人のような弟がいる。あれこれと世話を焼いてきたけれど、もうそんなのも昔のはなし。

つかの間のふたり暮らしは、まあ別に悪くないものだった。

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