いつも先には

Mariko Yasuura
exploring the power of place
4 min readSep 10, 2018

「はやく大人になりたい」

幼いときはいつもそう思っていた。3人兄妹の末っ子として育った私には、いつも年上の人々が周囲にいた。いとこなどの親戚のなかでもわたしが一番年下だ。身の回りにいる人々は、私が最年少という理由で、甘やかしてくれた。それでいい気分になったことも何度もあった。しかし甘やかしてくれるということは、彼らにとっての私はきっと、守らなければならない、弱い存在として見えていたのだろう。いつも自分を同じ土俵にあげてくれない彼らと対等になりたい。そういう意味で「大人になりたい」と思っていたのだ。

私が小学校を卒業し、中学生への階段を鼻高々にのぼろうとしているとき、一番上の兄は高校を卒業して大学生になろうとしていた。私が時間をかけてやっとたどり着いたところは、身近な人々がもう既に通ってきた場所で、私が必死にのぼった階段の一段は、彼らにとっては何段ものぼってきたうちの一つでしかなかった。彼らの姿はいつも、私のずっとずっと先の方にあった。

右から、1番上の兄、私、2番目の兄

私が生まれてから高校卒業までの18年間を過ごした小さな町では、進路に関する選択肢があまり多くなかったように思う。選択肢がなかったというよりも、前例のない進路を選択する先輩たちが多くなかったという方が正しいだろうか。高校卒業後は、大学進学か、就職をする。この2つが大きな流れとしてあった。しかもその2つをとっても、皆が驚くような進路は多くなかった。

私たちに用意された階段には種類がなく、私がのぼった階段の一段ずつの高さや、段数は兄たちと全く同じものだと思っていた。昔兄たちがのぼった階段を私は今のぼっている、そう思っていたのだった。

高校を卒業しても、なぜか私にはこの考えを拭うことができなかった。それはきっと、自分が「大学生」という立場を手に入れ、先をゆく彼らも経験した「大学生」に自分もなったからだ。通った大学は兄妹3人とも異なるが、大学生という立場への枠組みは同じで、この時点でも、私は彼らの背中を追いかけながら進んでいる、そう思っていた。

それから月日が経ち、私たちは住んでいる地域が異なるため、年に数回しか会えなくなってしまった。そんななか、一番上の兄が結婚することになった。今後はまとまった時間をとれたとしても、3人で過ごせる時間は少ないだろうということで、最初で最後の兄妹旅行へ出た。

旅先でお酒を交わしながら、それぞれの仕事の話や環境についてゆっくり話をした。特に兄2人は同じ職業で、共有できることが数多くある。しかし同じ職業の2人でさえ、目指すものや感じること、周囲から求められることは異なっていた。

私が同じだと思っていた階段は、それぞれ微妙に異なっていたことがわかってきた。大学生のような、同じような「立場」になることはあっても、3人とも異なる環境のなかで生活をしてきたということに今更ながら気づかされた。似たような立場でも、周りにいる人々、生活を営む場所は3人とも違う。

私の中での階段とは、小学生や大学生という立場への名称と同じことだったのだ。その階段の段数や高さは学校生活を送るうえでの日数や、時間で区切られているものだとわかった。

同じだと思っていた階段は、たどり着くところがそれぞれ異なっていて、歩みを進めてのぼっていくと、もはや1段1段を比較することは全くできない。同じ階段などはじめからなかったのだ。私たちがのぼる階段は高さも長さもそれぞれ異なっていて、ほんの少し似ているだけで、同じ階段をのぼっていると錯覚していた。

彼らと同じ階段をのぼってきたと思っていた過去の自分に、そろそろさよならを告げるときがきたのだ。

自分の先をゆく人々を追いかけて、のぼり終えた先にある土俵に早くたどりつきたい、彼らと同じ目線で世界を見たいと思っていた。けれども、そもそも彼ら自身も一人ひとり異なる目線で、それぞれの世界を見ていたのだ。

全く同じ階段などなくて、それぞれが独自の階段をのぼっている。そのことに気がついた私は、なんだか肩の力がすっと抜けた。

私は、私だけの階段をのぼってゆく。

--

--