うちで歌おう

Saki
exploring the power of place
4 min readSep 19, 2020

うちで踊ろう ひとり踊ろう

変わらぬ鼓動 弾ませろよ

生きて踊ろう 僕らそれぞれの場所で

重なり合うよ

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2020年4月、新型コロナウィルスの流行により全国的に外出自粛が求められ、緊急事態宣言が出されることとなる数日前。星野源さんが自身のInstagramに『うちで踊ろう』という楽曲を公開した。少しでもおうち時間が楽しいものになるようにという思いが込められていたが、実際にこの動画の反響は大きく、一般人から芸能人まで多様なジャンルで活躍する人々によって、伴奏やコーラス、そしてダンスなど様々な形でコラボされ、話題を呼んだ。

そんな人と人とをつなぐ歌の力を感じる日々を送りながら、私自身もこの自粛期間中歌うことと向き合っていた。私は、大学にて「うたう」という授業を受講していた。この授業は一学期間向き合いたい楽曲を一人ひとつ決めて、歌詞の言葉一つひとつの意味について考え世界観の想像をしたり、課されたあらゆる条件に応じて歌い方を変え、歌い方の幅を広げるトレーニングを行うなどするものだった。

今回、大学の授業は全てオンラインで実施されることとなったので、先生や他の履修者とコミュニケーションをとるのが難しかった。そんな中でより歌うことに対する学びを深めるためにも、他の履修者に声をかけて私たちは毎週土曜日にオンライン上で練習会を開催することにした。授業の時間内では実際に歌を披露する人(授業内ではこれを「生贄」と呼んでいる)の数も制限されてしまい、またそもそもこの授業は1限に開講されるため自宅からでは大きな声を発することができない人もいたことから、練習会においては授業の復習、トレーニングの実施、それぞれの課題曲に対するお悩み相談などを中心に行った。毎週2日間、気づけば1週間で約12時間以上を3ヶ月間、歌と向き合う日々を送っていた。すると、どんどん歌という深い沼にはまっていく感覚を覚えた。例えば、aikoさんの『カブトムシ』という楽曲では、「苦しうれし胸の痛み」ってどういう感情だろう、サビの終わりで「生涯忘れることはないでしょう」というフレーズを2回繰り返すけどその意図はなんだろう、どう歌い分けよう、歌詞の中では「かぶとむし」ってひらがな表記だけどどんな状況を例えて、主人公はどんな気持ちなんだろう…など考え出すときりがない。

でも、考えれば考えた分だけ歌詞の世界は色づき、風や匂いまでも感じるようになる。こんな感覚初めてだった。中学生の頃毎週カラオケに通っていたとき、いかに音程を正確に捉えて、加点をつけるかということしか考えていなかった当時の私に教えてあげたい。でも、もしかしたらこの喜びを感じられるようになったのは、外出自粛が求められずっと家の中での生活が続いていたからかもしれないし、オンライン上で歌が好きな仲間たちと集まりそれぞれが描く歌の世界を日々共有し合っていたからかもしれない。きっと、今までの「日常」が続いていたのなら、日々の忙しさに追われ自分自身で歌うことと向き合う時間は取れず、ましてや仲間たちと毎週語り合う時間は絶対に生まれなかっただろう。

2020年春夏、思いがけず時間にも心にも余白が生まれ、その余白に「歌」が入り込んだことで私の心や頭には言葉の美しさを感じ、新たな世界を想像するさらなる余白が広がった。それをどんな色でどんな風に描くのかは人それぞれであり、自分次第なのである。そしてその世界を共有し、人と人とをつなぐのが歌であるのだ。

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うちで歌おう 悲しみの向こう

全ての歌で 手を繋ごう

生きてまた会おう 僕らそれぞれの場所で

重なり合えそうだ

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次は、どんな世界を描いていこうかな。

毎週土曜日の練習会の様子

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