さて、どの部屋を選ぶか

Sakurakoळ
exploring the power of place
4 min readMay 19, 2020

私は自分の部屋を使わない。使わないと言うと少し大げさかもしれないが、部屋にベッドはないからここでは寝ない。さらに、勉強机はあるが使わない。21年の人生を振り返ってみると、最後に自分の部屋で勉強したのはいつだか思い出せない。気づいた時にはリビングで勉強していた。一人っ子だからか、幼い頃は家族を近くで感じられる場所が好きだった。私の部屋はいつのまにか、自分の服や本、小物を選んだりしまったりするだけの物置部屋になっていた。あえて付け加えるとしたら、父のスーツや仕事のものが入っているクローゼットもある。まあ、それでも物置部屋なのは変わらない。

コロナの影響で父の仕事もリモートワーク、私の大学の授業もオンラインになった。誰がどこで受けるか。父、母、私の全員が家にいるためリビングで行なった場合、誰かがいたらお互いに気を使ってしまうということでリビングは却下となった。

残りの使える部屋は、私の部屋、ゲストルーム、寝室だ。私の部屋は、前述した通り勉強机がある物置部屋。ゲストルームは、父が単身赴任の時に使っていたベッドやローテーブル、テレビがある。おそらくリビングの次に設備が整っている部屋だ。寝室は、大部分を家族全員が使用しているベッドで占め、他にソファとローテーブルがある。まあ使えなくもないといったところだ。

良好な通信環境と机さえあれば良いと思った私は、一通り部屋を試してみた。そして一番集中出来た寝室で、オンライン授業やミーティングを行うようになった。やはり自分の部屋は長い年月使っていなかっただけあって、居心地が悪く、どうしてもそわそわしてしまったのだ。自分の部屋、という表面上の名前と、物置部屋、という私の印象は交わることがなかった。

寝室は意外と快適で、ローテーブルに置いているパソコンの画面からは遠いけどお尻が疲れないソファ席と、パソコンの画面から近いけどお尻が疲れやすい座布団席の2タイプを設けて、授業ごとに使い分けられる。何より毎日夜寝る時も、疲れてお昼寝する時も使っているこの寝室の居心地がいいのだ。慣れてきて、お昼ご飯を寝室で食べるという滅多にない経験を写真に収めるようになった。

キャプションだけでも外食気分(寝室)

一方父は私が寝室を使うと決める前に、私の部屋でリモートワークを行うようになった。しかし、使用しているのは勉強机ではない。CD用の棚を机代わりにして脚立を椅子代わりに座っている。なぜ勉強机を使わないのか聞くと「落ち着かない」と言った。落ち着かないから棚と脚立を使う、というのも面白い人だなと思った。しかし、よく見てみると勉強机の上にはペン立て、すぐ横には数々の私のノートやファイルが並んでいるのに対し、棚と脚立の周りはドアとタンスがあるだけ。父は「自宅」と「仕事」を無意識に分けたくて私のモノがある場所から遠ざかり、居心地のいい場所を見つけたのではないだろうか。父の仕事用クローゼットが置いてある私の部屋が、寝室よりも仕事のスイッチが入る場所だったのだろう。

父の仕事場(私の部屋)

ゲストルームは誰にも選ばれなかった。環境は整っているのに誰も使わない。私は友人が遊びに来たり泊まりに来たりする時に一緒に過ごす部屋、という特別感があって毎日使うのは特別感が薄れてしまいそうで、躊躇してしまった。もし使っていても自分の部屋と同じようにそわそわしてしまっただろう。父はこの部屋を使っているのを見たことがない。きっと、赴任先で使っていた家具で溢れているこの部屋は「自宅」と「仕事」を必然的に分けることが出来るが、ふと一息ついた時にひとりという喪失感にかられてしまうため避けていたのだろうと思う。

私の勉強机は最近母の趣味に使われるようになった。21年間私と共に過ごし、この机も一緒に選んだ母からしたら居心地のいい場所だったのだろう。父の仕事がない土日と夜遅くに使われている。

母のナンタケットバスケット編み(私の勉強机)

毎日自宅で暮らし一番落ち着く場所のはずなのに、家の外側の行為を内側に取り入れると居心地の良さと悪さが顕在化するのだと感じた。

もちろんこの文章も寝室で書いたし、これからも使っていくと思う。

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