しるし

東京都写真美術館の総合会館20年を記念して開かれた「荒木経惟センチメンタルな旅 1971– 2017–」という写真展を見に行った。荒木経惟がどんな写真家かも知らなかったが、ただそれが最終日であるということに惹かれて入ってみた。最初に言ってしまうと、写真については無知だし、20年しか生きていない私にとって、荒木経惟というひとりの写真人生を追ったこの世界は、どこか重たくて怖かった。まだ見てはいけなかったような気もした。なぜだか、終始眉間にしわがよってしまう感覚に圧迫されていて、出口を出たときはただとにかくどっと疲れた記憶が強い。

荒木経惟の妻である陽子をテーマにした作品を集める今回の写真展は14章に分けて構成されている。4泊5日の新婚旅行の模様を写した1971年の作品からスタートして、そこから彼と妻陽子の人生を追っていくように、現代に至るまでの作品が時系列で展示されていた。荒木自身が「陽子によって写真家になった」と語るように、陽子と出会った1960年から彼女が死に至った1990年代までの30年間、被写体はほとんどといっていいほど陽子だった。

会場に入ってまず1つ目の作品は、若い2人の新婚旅行がテーマの彼のマニフェストともいわれる代表作品だ。選ぶという作業を一切無しにといったら嘘にはなるだろうが、ただひたすら横一線に時系列で並べられた写真たちからは、モノクロームだからこそ感じる光と影、日常と非日常がみて取れるだけでなく、彼らの1日の行動が全てわかるようだった。そして朝起きてから寝るまで、彼はひたすら陽子と陽子のむける眼差しを映していた。その新婚旅行中の108枚の羅列の中に、笑顔の彼女は映されていない。一見楽しくなさそうにさえも見えてしまう。でも追っていくとわかる。この表情はきっとカメラ越しの彼にしかみせない表情に違いない。こんな表情を、これまで私は人に向けたことがあるのか、これからあるのかなんてことも考えてみた。たぶんない。きっと自分自身でその表情をしている瞬間なんて今後気づくこともないのだろうけど。

1章|プロローグ<愛のプロローグ ぼくの陽子>のスライドフィルム

そんなことを時々考えながらも荒木と陽子の人生をゆっくりと、歩いて、たどっていく。展示の後半になると、陽子が毎日つくるご飯を(おそらく)マクロレンズにリングストロボをつけて撮ったアップの写真が続く瞬間があった。しかしおいしそうな手料理は、ある時を境に突然鮮やかなカラー写真から、モノクロームへと一変した。そして次第にそれは段々と、日付入りの写真へと変わっていった。なぜだろう、自分の中で撮り方について流行りのスタイルでもあったのかな。そんなことを思いながらも、再び展示を進んで行った。

そして突然、ある1枚の写真の前で立ち止まった。そのたった1枚を境に、これまで映像のように流れてきた彼の写真人生という長いフィルムがそこでぱたっと止まった気がしたからだ。その1枚とは、陽子の遺影を持った荒木のセルフィーだった。彼女の死を境に、彼の写真人生はそこで今にも途切れてしまいそうな儚さを感じた。それはまるで、陽子がずっとそばにいたからこそ彼の写真人生に刻まれたしるしにも思えた。

きっと、これまでの色や日付などの写真に現れていた小さな変化は、(あとから調べて分かったのだが)闘病生活をしていたという陽子と荒木の死へ向かっていく2人の心境を写していたのだと思う。それでもまた彼の写真人生は決して途切れることなく続いていく。ただそのセルフィーの前と後とでは、彼が撮る写真はシロートの私が見てもわかるほどまるで別人の写真のようにがらりと変わっていった。空だけをひたすら撮り続け、それをただ絵の具で塗りつぶしていく。陽子の死後、彼の行き場のない喪失感や虚無感がそのまま私たちに生々しく響いてくる。

それでもどこか陽子の面影が淡く残るような作品が、あれから何十年たった今日までも続いていた。そしてきっとこれからも愛されていく気がする。

展示も終盤にさしかかったとこで

”私は、日常の単々と過ぎ去っていく順序になにかを感じています。”

と荒木は写真にひとことを添えていた。もしかしたら、元々綺麗な1枚のフィルムなんかではなくて、何度も途切れそうになっても、時には都合のいいようにそれを並べ替えたとしても、必死に誰かによってつなぎ合わせて作られていく人生なのかもしれない。