すぐそばにあるもの

Ayaka Sakamoto
exploring the power of place
4 min readJul 19, 2019

美容室というのは、余白で溢れた場所であるように感じる。

誰しもがこれまで何度も足を運んだ場所だと思うが、改めてそこでの過ごし方を観察してみると見えてくるものがある。

カラーをしたり、パーマを当てたりした経験はあるだろうか。こうしたとき、必ず薬品が髪に馴染むまでの「待ち時間」がセットになってくる。じっと座っていなければならないのに加えて、手持ち無沙汰な時間でもある。たいていの美容室では雑誌や本を読む、もしくは自分のスマホをいじる時間になるだろう。

先日、大阪のとある美容室に初めて行った。そこでちょっとした衝撃を受けたことがある。カラー剤が髪に馴染むのを待っているとき、「ここにたくさん雑誌が入ってますので好きにお使いください」と電子タブレットを渡されたのだ。私は今まで美容師さんがその人に対するイメージで選んだ数冊の雑誌を机の上に並べられ、その限られた選択肢の中から自分が読みたいものをチョイスするという経験しかしたことがなかった。興味がないジャンルのファッション雑誌しかなくても、「まあたまにはいいか」と妥協し、流し読みしながら時間を埋めることに必死であった。
しかし、その美容室は違う。タブレットには何種類ものジャンルの雑誌が、バックナンバーも含め何百と入っており、少し読んでみて面白くなかったとしても、妥協して読み続ける必要はなく、気軽に別のものを選んで読むことができるのだ。そうして目を輝かせながらタブレットを見ていると、今度は隣に明らかに美容師ではなさそうな服装のお姉さんがやって来た。併設しているエステサロンの施術師の方だと言う。店の宣伝も含めて、待っている間にハンドマッサージをサービスで行ってくれたのだった。
その後も、飴だけでなくクッキーも含めたお菓子セットとドリンクを持って来てくれたりと、文字通り至れり尽くせり状態で、ここまでしてくれる美容室があるのかと私の中では衝撃的な出来事であった。それと同時に、これまでの必死で時間を埋めていたときとは時間の流れの感じ方が異なり、忘れられないほどの満足感も残ったのだ。

カラーやパーマの待ち時間とは、美容室という予定の枠の中で、仕方なく、けれど理由があって空いてしまう時間である。その空いた時間をただの手持ち無沙汰な時間ではなく、客にとってどれだけ有意義なものにして、振り返ったときにいい時間だったと思ってもらえるかを考えた結果が、あの美容室の至れり尽くせりの環境だったのだろう。もちろん、全て強引だったり押し付けてきたわけではないので、雑誌を読まないという選択やマッサージを断るという選択をすることもできた。あくまで美容室側は、時間を豊かにするための可能性や選択肢を提示したのであって、そこから何を選びどういう時間を過ごすのかは自分次第である。

店内イメージ(https://free-materials.comより引用)

今回の美容室のように、大学のゼミのグループワーク課題で余白というテーマを扱ってから、自分がこれまで何とも思わずに過ごしていた空間や時間について一度立ち止まって、「これって行動の選択肢を広げるための可能性を持たせた余白かも?」「あの時間は今思うとすごく意味のあるものだったんだ」などと、考えるようになった。私の中で、ものごとに対する見方や関わり方が変化したのだ。
少し意識をしたり働きかけるだけで、余白が浮き上がって見えるようになり、生活の中に多く存在していることに気づかされる。その形は様々で、シンプルなものもあるし、たくさんの要素が複雑に関わりあっているものもある。だがどれもが、意外にも私たちのすぐそばにあるのだ。

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