それでもあえて

「効率」「高コスパ」と叫ばれるなか、私は時々あえてゴールまでの道のりが長い方を選択したりする。そうした方が楽しいということを身体的に感覚的に知っているからこそ、私たちを飲み込む大きな流れに逆らいたくなる。例えば好きな人がいて、その人に家まで送ってもらえることになったとする。金銭的に大きな差がなく20分か30分のルートが選べるとしたら、きっと後者を選んでしまうだろうなと思う。長く歩いた分だけ相手も自分も疲れてしまうし帰宅時間も遅くなる。それでも一緒に話す時間が増えると嬉しくて、あえて「少し遠回りのルートでもいい?」なんて聞いてしまうかもしれない。非効率かつ低コスパだが、“それでもあえて”そうするのである。

大学2年生の夏に1ヶ月間語学研修をしにスペインへ行ったことがある。フランスを経由してスペインに向かう際に、1時間半かかる飛行機と6時間かかる鉄道を、数分迷って後者を選んだ。せっかく異国の地に行くなら、もっと地上にいる時間を楽しみたいというのが当時の思いだった。12時間のフライト後に6時間も列車に揺られるのは体力的にも堪えたが、乗り換え駅や車両内では思わぬ出会いと発見があった。パリから目的地であるサンセバスチャンに向かうには、Montparnasse駅からスペインとフランスの国境であるHendaye駅で一度乗り換える必要がある。到着してからHendaye駅にエレベーターやエスカレーターがないことに気付き、1ヶ月分の大荷物を抱えた私は下り階段を見てしばらく絶句した。「Need help?」と後ろから声がし、振り返るとある男性が手を伸ばしてくれていた。彼は自分とは肌の色が違い、初めて異国の地に降り立った私は思わず身構えてしまった。数秒迷ってお願いしたにもかかわらず快く受け入れてくれ、ホーム反対側の上り階段でも手伝ってれた。無意識に差別意識を抱いていた自分に気付き、それを払拭する体験となった。帰り道では隣にドイツから職を探すためにフランスに向かうというおじいさんと出会った。思い返すと無防備ではあったが、彼とはお菓子を交換して食べながらフランス語の挨拶をいくつか教えてもらうことができた。彼は途中で下車したが、私のチケットの裏側に名前を書いて「Come to meet me someday」と言って渡してくれた。連絡先は聞かなかったためおそらく見つかりはしないだろう。それでもそれは、またフランスへ行きたいと思える小さな楽しみを手に入れた瞬間だった。

Hendaia駅(スペイン-バスク語)

これは日常のなかでも起こることだ。友達との待ち合わせ時間までに余裕があるときは、待ち合わせ場所の何駅か前で降りて寄り道をすることがある。名前も聞いたことのないような駅に降り立つと「この先には何があるんだろう」と、まだ知らぬものとの出会いにわくわくする。新しい出会いがなくとも、純粋にまちの雰囲気を知れるだけでも嬉しい。歩みを進めるとただ待っている退屈な時間は、小さなセレクトショップに心を躍らせ、沿線沿いで寝ている犬にほっこりするひとときに変わる。思ったよりも道のりが遠く遅刻しそうになり、駆けつけるためにタクシーを止めたことがある。子供が3人いる青髪の運転手と和菓子で話が盛り上がり、美味しい隠れ家のお団子屋さんを教えてもらうことができた。ギリギリに到着することにはなったが、思わぬ嬉しい情報を手にして心が弾んだ。

友人には「なぜそんなに周りくどいことをするか」と聞かれた。なぜかって。セレクトショップでかわいいスノードームを見つけ、沿線沿いで寝る犬の背に雀が止まっていると気づくその瞬間。20分400円ではなく1時間1000円かけてイケイケ運転手と美味しいお団子屋さんに出会うその瞬間。それが楽しいからだ。非効率で低コスパでも良い。何にも代替できないその喜びのために、今日も“それでもあえて”長い道のりを選ぶ。

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