そわそわのルーティーン

Kano Sasaki
exploring the power of place
4 min readMay 19, 2018

この春、ベビーシッターのアルバイトをはじめた。

かねてから育児や親子関係に人一倍興味があったわたしにとって、子育ての現場に入れるこの仕事はぴったりだった。

対象年齢は3歳から9歳くらいまで。仲介会社を通じて、各家庭からわたしにシッターのリクエストが送られてくるシステムだ。仕事内容や場所は状況によってさまざまで、自宅内でのサポートから保育園↔自宅間の送迎サポートまで多岐にわたる。

わたしが登録している仲介会社では、サポート本番を迎える前に自宅で事前面会の時間を設けることになっている。当日の流れの確認と相性チェックがおもな目的である。見知らぬ他人に大切な子どもを預けるのだから、たしかに必要不可欠な時間だ。またシッターする側にとっても予習してから当日を迎えることができるので、お互いにとって有意義な時間だといえるだろう。初めて顔合わせするこの日は独特な緊張感が生まれるものだ。以前のわたしは淡々とこの過程をこなしていたが、ある家庭に行ってからその印象はガラッと変わった。

それは2週間前のこと。3歳の男の子のシッターを引き受けた。依頼内容は、お母さんが自宅で家事をしている間の6時間、近所の公園で遊ばせてほしいとのこと。すでに5件ほど他家庭でシッター経験はあったが、これまで相手をした子どもは皆6歳以上の女の子、長くても2時間以内、そして守られた自宅内でのサポートだったため、今回の条件はわたしにとって初めてづくしだった。3歳にことばはちゃんと通じるのか、外で急に走り出したりしないか、そもそもわたしの体力はもつのだろうか..。不安だらけの今回は、いつも以上に緊張感が高まる仕事になる予感がしていた。

面会当日。訪問先の最寄り駅が近づく頃、“そわそわの時間”がはじまった。初めてづくしの今回は特に濃い心のざわめきをおぼえ、あの時の予感が的中したことを痛感した。不安な気持ちと楽しみな気持ちとが入り交じったような、なんともいえない気分におそわれる。落ち着かない、心がざわつくこの時間をわたしはあまり好きにはなれなかった。どんな家族だろう、親御さんはどんな雰囲気かな、お子さんは私に懐いてくれるかな、これからどんな時間を過ごすことになるのんだろう…。頭の中が忙しい。ドアの前に立ちインターホンを鳴らすために指を近づけた瞬間、その“そわそわ”は最高潮を迎えた。

『はーい!』

明るくからっとした女性の声が、遠くのほうからにきこえてくる。扉がひらき、目が合った。お母さんという生き物が持つ特有の空気。不思議と一気にその空気に包み込まれるような気分になった。部屋に入り、いざ会話が始まると、そこからは一瞬で時間が過ぎた。お母様はわたしの緊張をほぐすように自然と会話をふりながらご家庭の様子を語ってくださり、男の子もわたしの名前をすぐに覚えてあっという間に懐いてくれた。不安と楽しみが半分だった“そわそわ”の気持ちが、どんどん楽しさに塗りかえられていく。この家族に直接対面したことで、訪問前に感じていた不安は徐々に消えていったのだ。

直接対面する時間がこれほど力をもっているとは知らなかった。この家庭がたまたまもっていた特別な雰囲気なのか、それとも初めて要素が多かったからゆえの結果なのかわからないが、とにかく“そわそわ” が “わくわく”に変化することをはっきりと実感し、事前面会に対する意気込みがこの日から変わった。“そわそわ” なくして “わくわく”は生まれないのかもしれない。

“そわそわ”について友人に聞くと、ほとんどが暗い一面(プレゼンの前だとか、試験の直前など)を多く含んだ体験を語ってくれた。けれど今のわたしは新しい概念として「わくわくを見いだすための準備期間」で広めていきたい。大好きなアノ人を待ってるとき、懐かしいアノ場所へ向かう途中…これも全部“そわそわ”で表せる感情であるように、どんな心のざわめきも、実は幸せな時間に繋がりうる明るい感情なのではないだろうか。

そう考えると、毎回“そわそわ”を感じられるベビーシッターの仕事はとても尊い。もっとたくさんの家庭に赴き、あの“そわそわ”をもルーティーンに変えて、仕事を楽しんでみたい。

“わくわく”に変わっていくことを信じて、また次のインターホンをおしてみよう。

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