たい焼き「ひいらぎ」

Yoko Sasagawa
exploring the power of place
5 min readJan 19, 2020

世の中がタピオカブームだった2019年。この冬の私は、たい焼きホリックだった。恵比寿のたい焼き「ひいらぎ」限定の「ひいらぎ」ホリックと言ってもいいかもしれない。

この3ヶ月で5回は食べた。もちろん全部、頭から。

「ひいらぎ」は恵比寿駅東口からほど近いたい焼き屋さんだ。

カジュアルなフレンチやらーめん屋さんの並ぶ通りにあるシックなブラウン色の外観に、明朝体で「たいやき ひいらぎ」の看板と赤い暖簾がある。釜でひとつひとつ焼く天然物のたい焼きでなく、焼き型に生地を流して作る養殖物ではあるものの「一匹三十分、時間をかけて焼き上げるこだわりのたい焼きでございます 」の言葉通り、外はカリカリ、中はぎっしりの粒あんで、通常のたい焼きにはない白いお餅のようなものが入っている。
通常のたい焼きの型をきちんと守りながらも、一捻り工夫がある。そんなこだわりのたい焼きを求め、夏でも冬でも季節を問わず行列ができる。私はここのたい焼きの、美味しさをごまかすことのできない粒あんが生地をはみ出てカリっとする部分がたまらなく好きだ。炊き込みご飯がうまく炊けた時の、あの「わぁ~おこげ〜」とじわじわ嬉しくなる声を密かに脳内再生してしまう。頰が緩む瞬間である。

今でさえこんなにハマっているたい焼きだが、小学生の頃はあまり好きではなかった。私の代わりに母が「ひいらぎ」ファンで、よく箱に入ったたい焼きを買ってきてくれたが、当時の私の胃には大きすぎた。食べている途中で「甘い…。」と言って頭の方を残してしまうので、母と半分こをしていた。全部食べられない割には、理由もなくしっぽの方から食べると決めていた小学生だったけれど。

そういえば、この間大掃除をしていた時にちょうどその頃の日記を見つけた。小学4年生の頃に書いていた宿題用の日記。当時はかなり適当に書いていたけれど、今見ると少し面白い。

当時はたい焼きみたいに甘いものが得意でなくて、どちらかというと近所の駄菓子屋の小さな駄菓子をよく食べた。好きなお菓子は「ポテトフライ チキン味」。今よりもジャンキーなものが好きだった。そんな当時の日記に、たまたまポテトチップスを食べた時の文章が載っている。

私は今日ちょっとおこっている時にポテトチップス うま塩味をたべました。なんで食べたのかというと、気分てんかんしようと思ったからです。なんで味を感じることができるかはべろくんが口の中に住んでいるからです。私はポテトチップスのおかげで、いかりが止まりました。良かったです。私はべろちゃんが住んでいて良かったと思います。だから味を感じとることができるんだと思います。

べろくんとべろちゃんの2つの表記があるあたり、随分と適当に書いたらしい文章だ。でも、その短時間で書いたからこそ当時の考え方がよく表れている。

あの頃は習っていたミュージカルの影響もあり、何かモノを見るとすぐにセリフが浮かんでいたらしい。擬人化しようと思っていたのではなく、何かにつけてそう思ってしまう癖があった。それがたとえ100円のポテチでも、20円の駄菓子でも1000円の千疋屋ゼリーでも関係なく、美味しいと感じた時には素直にセリフをあてていたのだ。今はセリフをあてることは少なくなった。(なってしまった…?)
それほど大人になったということなのだろうか。

ただ、あの頃から変わらないのは、この日記にもあるように食べ物で自分のご機嫌を取るところだ。
受験生がココアやチョコレートを食べて「あと一息頑張ろう。」と思うように、ちょっとしたご褒美にコンビニでアイスを買うように。今季の私にとってのそれは、たまたま、「ひいらぎ」のたい焼きだった。

「ひいらぎ」に行った時のたい焼き写真を見ると「あの日こんな事があったなぁ。」と思い出し、その時の生活のリズムが蘇ってくる気がする。食べ物を通して、その頃の私を思い出す。

いつ役に立つのかも、そもそも役に立つかも分からない記録をこうして溜めてしまうのは、あの頃のリズムをぼんやりと思い出すことができると期待するからだろう。「ひいらぎ」ホリックになった今季の思い出も、いつかどこかで思い出して微笑ましくなったりするのだろうか。

その時々に考えたことを徒然なるままに取っておくためのアカウントも、そのためにある。

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