ただそこにいるという安堵の中で

お互いを10なん歳から知っている人間がいてくれることは、ときどきすごく必要だった

少し前『違国日記』という漫画に出てきたこのセリフを見て、私が女子校時代の友達に対して抱いていた感情はこれか、と腑に落ちた。「一緒に〇〇したい」などではなく、「ときどきすごく必要になる存在」なのだ。

私は中高一貫の女子校育ちだ。中学受験を控えた小学6年生の私は、「女子校はドロドロしている」という女子校出身ではない人のどこから生まれたのか分からない言葉を盲目的に信じていたため、共学に行きたいと強く願っていた。受験した学校のうち、女子校は一校だけだった。しかし、第一志望の学校に落ち、他に受かっていた共学もあったものの、結果的に女子校に通うことになった。私が入ったクラスは「国際学級」と言って、一学年6クラスのうちの1クラスのみが英語に特化したカリキュラムで授業を受ける。そのため、私のクラスは6年間クラス替えがなく、40人弱のクラスメイトと共に12歳から18歳までの時間を過ごした。

女子校時代の思い出といえば、ただお弁当を食べながら喋っていたことだ。12歳の時も18歳の時も同じように教室で机をくっつけてお弁当を広げた。お弁当だけじゃ足りないからと食堂にフライドポテトを買いに行く日もあれば、天気の良い日は屋上に行き、お弁当の後に鬼ごっこをした。お弁当を食べながら何を話したのかは覚えていないし、大した話はしていないと思う。それでも12歳から18歳という時期は、最も自分自身の価値観を形成する時期だ。唐揚げや卵焼きを食べながら私たちは互いに変化し影響しあう。完全に分かり合うことはできない他人だということを理解した上で、だからこそお弁当の時間に今日あったことを話して盛り上がった。

女子校出身ではない人に「女子校で6年間同じクラス」だと説明すると案の定「めっちゃドロドロしてそう笑」と言われ、一方で女子校の人には「何それ最高じゃん」と言われることが多かった。「女が集まるとドロドロする」という偏見がある中で、実際に女が集まる場である女子校にいた人はそれを「最高だ」と語る。その時点で、私たちはきっと分かっていた。男性中心の社会では、女の子だけで集まることで初めて”女”であることの意味がなくなり”人間”として生きられるのだと。その共通認識によって、ただそこに存在するだけで私たちが私たちとして作られていった。

だからこそ、共学の子の前では「女子校の体育祭は女捨ててるから笑」と自虐する友達を見るのは辛かった。本気を出すことが女を捨てることならば、そんな”女”なんて捨てた方がいい。少なくとも私たちは、”私たちの中では”そんな女である必要はないと認識していた。だからこそ体育祭では力の限り戦い、出せるだけの声で応援した。ただ同時に、それが外の社会では通用しないことも分かっていた。だから外の世界では、外の世界の求める”女性像”に当てはまらない自分たちを卑下し、卑下することによって”女性像“を理解していることを示すのだ。1人の人間として生きられることの心地よさを本当は知っているのに、”女性としてのあるべき姿”を受け入れていく友達を見るたび、社会の残酷さに呆然としてしまう。それでも私は、女子校で彼女たちに出会えて良かったと思うのだ。

高校を卒業して2年が経とうとしている今、女子校時代の友達とはできなかった価値観の話をする友達が増えた。むしろ、女子校の友達と中高ではなく大学で出会っていたら、多分友達にはなれていなかったと思う。価値観は絶えず変化していくものだが、自分に合うもの/合わないものが分かってくると、言動やふるまいから受け取るその人の価値観を通して、自分と心地の良い関係性になれるかどうかを判断してしまう。しかし、価値観が形成されるベースとなった環境を共有しているということは、価値観が合うということとは別の軸で、近くも遠くもなく、ただ強く繋がり続けているのだ。12歳から18歳という時期を女子校という環境で出会ったからこそ、ある部分で共鳴しあい、他にはない繋がりを保っている。常に連絡を取るわけでも頻繁に会うわけでもない。しかし、ただそこにいるだけで、そこに集まっただけで女子校に戻り、共感を超越した信頼関係に身を委ねることができるのだ。

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