ちいさなものがたり

Marina Yoshizawa
exploring the power of place
4 min readJan 19, 2019

私が所属するゼミでは、後輩たちが渋谷の桜丘をフィールドとして活動を行なっている。東急による再開発が行われる桜丘に着目し、日々変化するまちや、人びとの様子を追いかけているのだ。私は後輩たちが活動を始めるまで、桜丘という地名さえも知らなかった。ましてや、まちの姿がガラッと変わってしまうほどの再開発が控えていることなど、知る由もなかった。

後輩たちの活動が始まって半年ほど経った。最近、自分の中で桜丘に対する感情が変化したことに気づいた。たまたまTwitterで廃墟のような姿となった桜丘の写真を見かけて、急に悲しくなったのだ。活動を通してまちと関わったのは後輩で、私が桜丘に足を運んだ回数など、片手で数えられるほどしかない。けれど、再開発を余儀なくされた今の桜丘に対して、なぜだか切なさを感じるようになっていたのだ。

こう思うようになったのは、桜丘で生きる人びとの姿が垣間見えたことが大きいのだと思う。働いていたり、生活していたり、仕事帰りに寄ったり。人によってまちとの関わり方は違うけれど、きっとまちに対して何かしらの想いを持って生きていた人びとはたくさんいたのだろう。直接見たり話を聞いたりした訳ではないけれど、後輩たちの活動を通して桜丘について知ることで、人びとの姿や、桜丘で生まれたであろう小さなものがたりについて想像を膨らませていた。かつては、渋谷といえばどこも現代の消費社会を象徴するように、流行によって姿をコロコロと変え、効率的で便利であることを追求して作られているというイメージがあった。そのような渋谷の中にも、人びと古くから守り続けてきたものが確かに桜丘にはあったのだ。それがなくなるという事実に直面した今、じわじわと悲しさを感じるようになったのだ。半年前は知らなかったまちに対して、勝手に愛着を感じるようになった自分に驚いた。

こんな自分に驚いたのは、大学に入ってしばらく経つまで、日常の小さなことに目を向けることができていなかったからだ。さらには自分が関わったことのない小さな地域で起こっていることなど、考えたこともなかった。これは自分にとって大きな変化だ。

大学生活を振り返ると、2年生の時は、発展途上国の教育を変えたいという想いからアフリカに飛んだこともあった。「教育を変えて国を良くしたい。」と意気込んでいたけれど、現地で出会った人びとの日常の豊かさに触れ、自分が考えていたことは果たして現地の人びとにとって良いことなのか考えさせられた。日本で暮らす私が考える、人びとにとっての日常の豊かさが、必ずしも全ての人に当てはまるとは限らない。現地の人びと目線を合わせること、現地で生きている人びとの姿や立場を想像することの大切さを学んだ。このアフリカでの経験を、桜丘の再開発に当てはめて考えると、大学2年生までのわたしは東急側の視点しか持っていなかったと考えられるかもしれない。そこの場所に生きる人びとに目線を合わせず、多くの人びとにとって良いことしか見えていなかったのだ。

多くの人びとにとって幸せな選択をすることを否定するつもりはない。しかし、背後には逆の立場の人びとがいることを理解しておくことは大切だ。そして、私はそのような人びとの姿を想像する努力を忘れたくはない。

卒業を2ヶ月後に控えた今、これまでを振り返ると、アフリカでの気づきを経て経験したこと、今所属するゼミで視座を高められたことは、大学生活における財産だ。

世界は広いし、知らないことはたくさんある。けれどその中で、人びとと関わり、時には遠く離れたところに生きる人の姿を想像する。そうやってちいさなものがたりに触れることの尊さを、大学生活を終えようとしている今、感じている。

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