とりあえず渋谷

Fumi Ota
exploring the power of place
4 min readOct 10, 2018

授業が一日詰まっていた日のあと、なにか大きな話し合いがあったあと、長い文章を書いたあと、私は渋谷のクラブに行きたくなる。「ああぁ、つかれた、もうなにもかんがえられない、しぶやいきたい、くらぶいきたい」

誰にでも、なにもかんがえられない状況のなかで無性にしたくなるコトや感じたくなるモノがあるだろう。
私にとってのそれは「渋谷に行くこと」そして「音楽」だ。

元々は「それらを一気に叶えられて毎日どんな時でも受け入れてくれるのが渋谷のクラブ」という単純な発想だった。だが渋谷のクラブはそれ以上に“なにもかんがえられない”状態の人が行くのに適した場所であった。

この顔である

アトムという渋谷の中でも一番名の知れたクラブがある。そこは4~6階のフロアごとに流れる音楽ジャンルが異なっており、好きな曲を求めてみんな上下に移動する。そんなアトムに行った時、とあるフロアで会った人たちと2時くらいから始発までずっと一緒に踊っていたことがあった。相手は仕事終わりの20代前半男女3人組でこちらは高校の同級生女4人組。音楽で声が聞こえないので、7人で円陣を組んでその情報だけを教えあってパッと離れ、また踊った。それ以外には「フゥー!」くらいしかお互い言葉を発さなかったが(ホントに)見ているだけでも「マジで踊りたくてはしゃぎたくて、そのためだけに来たんだな、この人たち」と分かった。3人のうちの1人がでっかいグレゴリーのリュックを背負ったままぴょんぴょん跳ねて踊って、フロアのおじちゃんDJが流す’80s音楽にひときわ嬉しそうにする。そんな様子を見ていたら、あっという間に朝になっていた。

なんでもない事のように起きた出会いだったが、「心のままに動く」事のお手本を見せてもらったような、良い出会いだった。

渋谷で十分、という言葉をたまに思う。
私が渋谷に行くときは京王井の頭線を使うので、渋谷は路線の終着駅。そこから路線を乗り換えてまでするような用事はほとんどない。買い物もご飯も友達と遊ぶのも、渋谷より先に行く必要性を感じた事が無かったのだ。だけどそれは、クラブが目的だけど六本木に行くほどではない千葉・埼玉県民や夜遊びたいけどどこが良いのかわからない外国人観光客にとっても同じで、「渋谷に来ておけば十分楽しめるだろう」という考えはどうやら広く持たれているらしい。

もう1つ、「ウェーイ」で十分ということもたまに思う。
この意味がわからない言葉は「渋谷」とか「パリピ」とかいう言葉と一緒に紐付けされることが多い。私は赤ちゃんの喃語や犬に話しかける飼い主のようだな、とよく思う。特に伝えたいことがあるわけではなくてもなんか言いたくて言っていて、なにも伝わらなくてもなんか言われたから「ウェーイ」と返す。そんな程度のやり取りでも楽しい気持ちになれるならば「心」が満ち足りているということなのかもしれない。(「頭」ではないということは強調しておく)

「なにも考えたくない時に行きたい街」「とりあえずで行く街」というのはあまりいい評価に聞こえないかもしれない。

だけど私は渋谷が大好きだ。
頭が停止して心しか残っていない時に歩いていると突然目に入るRedbull Music Festivalのウォールアートが心を刺激してくれるのが好きだ。とりあえず渋谷に集合して飲むタピオカがちゃんと美味しいのが好きだ。頭より心を解放している人が集まる都市で、世界に名前を轟かせるようなファッションやクリエイティビティが発揮されるのが好きだ。

だから私はこれからも、煮詰まって苦しくなってしまうような時にはとりあえず渋谷に行く。そしてとりあえずSuchmos聴いてとりあえずジントニック飲みたい人たちと一緒に「ウェーイ」って言って、頭だけいい奴もうGood nightするのだ。
心を解放するために。

ああ原稿長かった。つかれた。しぶやいきたい。

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Fumi Ota
exploring the power of place

Keio University Faculty of Environment and Information Studies Alumni