どっぷりと浸かる

Marina Yoshizawa
exploring the power of place
4 min readMay 19, 2017

日々のバスタイムは、シャワーで済ませるよりも、ゆっくりと湯船に浸かる方が好きだ。疲れたときやリラックスしたいときほど、時間を忘れるくらい、ゆっくりと湯船に浸かりたいものである。

けれども実際のところ、大学に入ってから慌ただしい日々が続いている。リラックスできる時間であるはずのバスタイムを、シャワーでささっと終わらせてしまう日々が続いていた。

話はガラッと変わるが、わたしは新しいもの好きで、欲張りなところがある。目新しいものに食いつき、流行りに乗せられ、次々と目移りしてしまうタチだ。

現代社会には情報があふれている。例えるならば、シャワーのように、私たちは大量に降りかかってくる情報を浴びている。たくさんの情報を浴び、流行に乗せられ、ちょっと古くなったら手放してしまう。そして新しいものに目をつける。このような自分の性質がちょっと前まで、悩みのタネになっていた。

自分のこの性質を自覚したのは、高校生の時。母の決定的で、かつストレートな一言がきっかけだった。

「あんたって、本当ミーハーよね。」

痛いほどにストレートだ。母は、わたしに対して容赦しない。その当時大好きだった英国アーティストの追っかけをしていたころ、母の口から呆れ気味にポロッとこぼれた言葉だ。その母の言葉にムッとし、少しショックを受けたものの、なぜだかすんなりと受け止めることができた。今思い返せば、そのアーティストのことは純粋に好きで応援していたけれど、少し流行を追うことに楽しさを感じていたところもあったのかもしれない。

そんなミーハーな女子高生も、受験を経て、大学に入学することとなった。
大学には個性が強く、ギラギラとしたパワー漲る人たちがたくさんいた。自分の確固たるアイデンティティーを持っていた人や、高校生のときから積極的に社会貢献活動をしていた人、早くも起業を経験していた人など。入学当初は学校にいくたびに刺激を受ける毎日だった。そんな人たちに追いつくべく、わたしは降りかかってくる情報を受け止め、必死に喰らいついた。いろいろな環境に飛び込み、たくさんの刺激を受けた。

入学して、最初に取り組んだ「政策コーカス」

どれも貴重な経験であったことは間違いないのだが、しばらく経って、自分のなかに生きているものの少なさに気づいてしまった。あのときわたしは、なんとなくわたしたちの間に蔓延している「個性主義」の風潮に乗せられてしまったのかもしれない。個性的でギラギラとした人たちが、わたしにとって目新しく思えて、自分もそうなりたいと食いついてしまったのかもしれない。

わたしには、彼らのようになれるだけの忍耐力や努力が足りていなかった。正直に打ち明けると、お得意のミーハー気質を発揮して、おもしろそうなものに首をつっこんでは、どこかピンと来ないと感じてしまい、次の目新しいものに食いついてしまっていたのだろう。

これに気づいた瞬間、自分のことが心底嫌になった。降りかかってくるたくさんの情報や機会を、手当たり次第に捕まえては流すように消費していることに気づき、悲しくなった。

けれど、流れずに残ってくれたものもある。
幸い、大学での勉強に関しては、一貫した興味としてコミュニケーションが残ってくれた。もっと知りたい、学びたいと素直に思えるものだった。

この4月にわたしは大学3年生になった。もう大学生活も折り返し地点だ。そんな中わたしは、これまでの新しいもの好きで欲張りな自分と決別することを心に誓い、自分の身を置く環境を大きく変えた。しっかりと腰を据えて活動していきたいという心持ちだ。

シャワーのように次々と情報が降りかかるなか、しっかりと自分で選択をして手放さずに手元に残していく。これからは、慌ただしくシャワーを浴びるのではなく、どっぷりと湯船に浸かるように、自分の選んだ環境に腰を据えて、時間を忘れるくらいに没頭できるものを突き詰めていきたい。

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