ぶかぶかの制服

Ayaka Sakamoto
exploring the power of place
4 min readMay 17, 2019

先月から新学期が始まった。
少し肌寒い日が続いた4月を経て、ようやく春らしい暖かさがやってきた。
そんなポカポカとした日差しに包まれた街を、今日も人々は行き交う。

その中に、ある男の子の姿を見かけた。中学生くらいだろうか。姿勢を伸ばし「もう僕は小学生のようなコドモとは違う、オトナなんだ」と言わんばかりに堂々と歩いていた。私はそんな彼を見ていて、少しクスッと笑ってしまった。頼もしい姿と相反して、まだ顔に幼さが残る彼の制服はぶかぶかでまさしく服に着られていたからだ。ローファーも艶があって綺麗だから、きっと1年生に違いない。入学前に制服を採寸したとき、彼の親はこれからの成長を見込んで大きめのサイズを買ったのだろう。親の嬉しい期待を身にまとって堂々と歩く彼の姿がとても微笑ましく感じた。

そこから制服について考えてみた。

私自身、幼稚園から高校まで15年間がっつり制服ライフを送った。振り返ってみると、中学〜高校にかけては身長に大きな変化は訪れなかったのだが、小学生の頃は制服にまつわる変化が色々あった。

入学前に期待を込めて大きめに買った制服のスカートがずれ落ちないように、ホックよりも内側にスナップボタンを縫ってくれたり、アジャスターをつけたりなど、親は大きい制服を少しでも心地よく着られるように様々な工夫をしてくれていた。そのスナップボタンも3、4年生の頃には必要なくなっていた。当初予想してたよりも背が伸びたのか、途中で制服を買い換えたり、卒業生のおさがりを貰ったりしたこともあった。制服のサイズが自分の身体に合ってくると、少しこなれた着こなし方もできるようになっていた。こうして年月が経つごとに、制服と身体との「間」は変化していった。

スナップボタンを縫い付けたスカート

小学校や中学校に入学する時、新しい制服をちょうどのサイズで購入する人は少ないと思う。子どもの頃の成長は著しい上、先輩ママさんの意見や両親の身長・過去の自分の成長具合など様々な要素を考慮し、期待を込めて多少なりとも大きいサイズを買う。制服に将来への『余白』をもたせるのだ。
特に成長期の男の子だと20センチ以上伸びる可能性もあるから、多くの余白をもたせることもあるだろう。ある意味、制服の余白の大きさは、親の期待の大きさと比例していると言えるかもしれない。
意味を持って空けておいた余白を、先のスナップボタン然り、丈つめや裾上げなどの工夫をすることによって着心地のいいものにしつつ、大きくなったら元の形に戻す。そうして年月が経るにつれ、少しずつ制服の余白は埋まっていく。靴にズボンの裾が少しかかっていたのに、靴下が見えるようになったり、ひざ下丈だったスカートが短くなってひざ上丈になったりなど、「なくなっていくもの」と「見えてくるもの」に成長を感じていくのだ。

制服の余白には成長と親の期待だけでなく、着ている本人が好んで作る余白がある。

高校生の頃、学校でセーターをぶかぶかに着ることが流行っていた。制服がセーラータイプのしっかりした生地だったからかもしれないが、女の子はLや2Lなど自分のサイズの何個も上の、手が袖にすっぽり収まってしまうくらいの大きいセーターを弛ませて着ている人が多かった。そうした着方がおしゃれだと思っていたのだ。
また少数派ではあったが、スケバンのようにあえて長いスカートを穿いている人もいた。
このようにして、何かしらこだわりがあって自ら制服に余白を作る例もある。この余白は埋めさせないことが前提なのだ。

将来への『余白』とこだわりの『余白』。
制服の余白には様々な想いが詰まっている。
そんな余白とともに、制服を身につけた彼らは今日も前に向かって歩み、日々を過ごしている。

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