ひとり

Yusuke Wada
exploring the power of place
4 min readMay 10, 2018

逗子にようこそ

つい先日、逗子市民になった。「市民になった」というのは、文字どおり、住民票を移したということだ。北九州から大学入学とともに上京して5年目になるが、実家に戻るという選択をする可能性がそれなりにあったこともあり、住民票はずっと北九州のままだった。上京してすぐの頃は大学のある藤沢に住んでいたし、3年生になる頃に引っ越してからは横浜に住んでいた。でも、僕としては寝たり起きたりする場所が変わったり、関わる人が変わったりするだけで、あくまで僕自身は北九州市民として暮らしていた。自分が生まれ育った場所への愛着があるし、地元が大好きだから、僕はずっと北九州市民でいたいと思っていた。

いろいろな事情が重なって、今住んでいるところから引っ越す必要があったのと、もうしばらくは実家には戻らずにこっちで働くことを決めたので、少しずつ引っ越し先を探していた。会社が鎌倉にあることもあって、どうせなら海側に住もうかと思っていたところ、とても素敵な家に巡り会えたので、次の住処は逗子にすることに決めた。そんなことで、僕は人生で初めて住民票を移すことになったのだ。

事の経緯を親に伝えて、地元の市役所で転出証明書を発行してもらい、こっちへ送ってもらった。必要書類を全て持って、意気揚々と逗子市役所へと向かった。新しい生活をはじめること、なんだか重要そうな手続きを行おうとしていること、そんな状況が僕をワクワクさせていた。

市役所に入ると、職員さんが「どういったご用件でしょうか?」と迎えてくれた。初めてなのでいろいろわからないことが多いということを伝えると、細かくどの用紙に何を記入すれば良いかを教えてくれた。なんだか書類が多いなぁと思っていたが、実際に書いてみると全ての用紙に同じような内容を記入するだけで、案外あっさりと終わった。用紙への記入を終えると窓口でそれを提出して、いくつかの確認をしたら、あとは手続きが完了するのを待つだけ。あまりにも手続きが簡単なので、自分がいまどんなことをしていて、何を待っているのか、あまりよくわかっていなかった。

窓口の前のベンチで音楽を聴きながら待っていると、30分もしないうちにモニターに「642」と僕の番号が表示された。窓口へ行くと、逗子の住所に記載が変更された住民票と「逗子へようこそ」と書かれたパンフレットが用意されていた。僕は書類を全てリュックにしまって、さっと市役所を出た。

一度外したイヤホンをもう一度付け直して、さっきより一つボリュームを上げた。心に湧き上がってきた不思議な感情を搔き消したかった。上京してから物理的には地元を離れたが、どこに住んでいたときも、僕の気持ちは常に北九州にあった。だけど今回は、何か本当に北九州から、実家から「出た」ということを窓口で伝えられたような気がして、急にそわそわしたのだ。いつもと同じように、寝たり起きたりする場所が変わったり、関わる人が変わったりするだけなのに、これまでとは違う感情が湧いていた。

住民票を移すということは、もちろん税金や選挙区域など暮らす上で重要な変更はあるものの、基本的には紙面上での記載が変更されるというだけのことだ。だけど、今回のそれは特別だった。本当の意味で、親元を「離れる」ということを自覚して、自立したひとりの男として生きていく決意をする、そういう儀式だったのだと思う。そう思うと、これまでの23年間が急に思い出されて、愛おしくなった。心にある寂しさと、これからへの少しの期待がちょうどよく混ざり合って、とても心地よかった。

僕はこれから「逗子市民」として逗子で暮らしていく。朝早く起きて、海辺をランニングするのも良いかもしれない。夕暮れ時に窓を開けて、海風にあたりながらうとうとするのも良いかもしれない。庭に夏みかんの木を植えて、毎年の収穫を楽しみにするのも良いかもしれない。どこかで地元の家族を想いながら、見慣れた景色を思い浮かべながら。そうして一人で過ごしていく。

市役所からの帰りの電車の中で、僕はまた一つイヤホンのボリュームを上げた。

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