まんまんちゃんの部屋

庇のある部屋は、“まんまんちゃんの部屋”。祖父母の家にある畳の部屋だ。広さは12畳ほどで、幾つかの立派な仏壇が壁際にずらっと並んでいる。夜になると月明かりで仏壇が照らされてちょっぴり怖い部屋になるが、昼間はお供え物が食べ放題の最高の遊び場だった。部屋は庭に面していて、私と祖母が庭で遊んでいるとき、祖父はよく縁側に座っていた。縁側の上には、ちょこんと出っ張っている庇があり、雨も日差しも緩やかに防いでくれた。祖母と遊んだあと休憩するときは、祖父の元へ行きホッと一息ついたものだ。そんな優しいまんまんちゃんの部屋が大好きだった。


昔から、大のおばあちゃんっ子だった。“伊丹ばあちゃん”の愛称で、幼い頃からばあちゃんに夢中だった。なんでも愉快にしてしまうばあちゃんと一緒に、よくイラズラをしたり何かを企んだりした。ばあちゃんの隣にはいつも“伊丹じいちゃん”がいた。じいちゃんは、愉快なばあちゃんとは正反対の人で、冷静で頭がよくて礼儀正しい人だった。ばあちゃんが、「じいちゃんはむっちゃ頭がええから、なんでも聞いたらいいわ!生き字引や!」と言っていたこともあって、じいちゃんのことをよく“イキジビキ”と呼んでいた。しかし、じいちゃんとあまり話したことがない。数人で会話することはあったが、二人で話した記憶はほとんどないのだ。私にとってじいちゃんは、いつも静かにそこにいる存在だった。

私・伊丹ばあちゃん・従兄弟・伊丹じいちゃん@まんまんちゃんから見える庭で

高校1年の夏、じいちゃんが脳出血で倒れ植物状態になった。連絡を受けてから、急いで母と東京から伊丹へ向かった。到着してすぐ、たくさんの管に繋がれたじいちゃんを見て、悲しいようで辛くないような、不思議な気持ちになった。寝ているじいちゃんを見てもあまり違和感を抱かなかったのだ。そんな自分が不謹慎だと思い、虚しい気持ちになった。

じいちゃんが倒れてから冬になった頃、私はカナダに3年間留学することになった。そして留学してすぐ、母からのラインでじいちゃんの死を知った。数日後、母がスカイプで葬儀の様子を中継してくれた。みんな楽しそうにワイワイとしている様子だった。「お父さん、しんみりした葬式はしてくれるな!って言っとったからみんなで思いっきり楽しんだんねん!」そんなことを母が前に言っていたのを思い出す。

家に運ばれたじいちゃんは、まんまんちゃんの部屋で寝ていた。私が大好きなあの部屋だ。その光景を見て、初めて無性に悲しくなって涙が出た。じいちゃんもういないんだ、そう実感した。そんななか泣いている私をよそ目に、母がイタズラを始めた。じいちゃんの周りを囲っていたドライアイス入りのタオルを使って、じいちゃんのハゲ頭の上に様々な形の帽子を作り出した。「みてみて!ハゲに兜やで~」と母が言い、従兄弟のちびっ子達は大喜び。大人たちも「やめたり~や~」といいつつ、みんな笑っていた。優しいあの部屋で、死んだじいちゃんと笑っているみんなをみて、私は余計に涙が止まらなかった。私は時差の関係で途中でスカイプを終えたが、この日は「じいちゃん、あんなことしとったよね~。あの旅行楽しかったなあ」と、みんなでじいちゃんとの思い出話を夜な夜な語り合ったそうだ。


じいちゃんが死んでから、私はじいちゃんのことを生きている頃よりも考えるようになった。時間を見つけては、週末をつかってよく伊丹を訪れるようにもなった。独り身のばあちゃんに会うためと、じいちゃんの墓参りのためだ。伊丹に帰ると、親戚同士でよくじいちゃんの話をする。死んでしまった今も、親戚の誰かの行事がある度に、じいちゃんに見守ってもらってるみたいだね、と話す。

今、あのまんまんちゃんの部屋にはじいちゃんの遺影と仏壇がある。さらに優しくなったあの部屋で、今年の夏もみんなで過ごしたいな。

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