「らしさ」の在り処

Sho Okawa
exploring the power of place
4 min readDec 10, 2017

新宿ゴールデン街で、初めて自分の意思で店を選んで入ったとき、その店を選んだ理由は「看板に惹かれたから」だった。それが去年の9月頃。僕はそのあとその店で働き始めることになって、一年以上が過ぎた。ちょうど先日、そんな話を店長や他の常連の人たちとしていると、5年以上も店に通っている人が、「しょうくんもそうやったんや、俺も最初は店の看板で選んだで」と答えた。数ある店の中からある店を選択する際、物理的な「看板」は、その店を表す、文字どおり「看板」としての機能を果たす。

僕が初めてこの店を選んで入ったその日、実は他のもう一店舗と迷った末にこっちの店に決めた、という経緯があったのだけれど、そのもう一店舗というのがWHOという名前の老舗のロックバーだった。そのときは、入り口に貼ってあったビリビリに破れたThe Whoのポスターと、年季の入った薄汚れた看板を見て、ここはまだ自分には早いんじゃないかと思い、店に入るのを諦めた。僕が選んだ店は、看板が比較的新しく、店も店員も若いはずだと、感覚的に感じていた。そしてその感覚は間違っておらず、結果として僕は、今なおその店で店員としても客としても、入り浸っている。

この夏の間、そのWHOという店が改装工事に入った。街全体で老朽化が進んでいるので、改装工事はよくある話だ。そして、ひとたび改装工事を始めれば、地下から存在しないはずの水道管やらが出てきて工事期間が倍になる、なんて話もここではいつもの話。そして夏が明けて、秋から新装開店、リニューアルされて店がオープンした。スタッフから「歩くたびに床が抜けそう」と言われていた床はギシギシと音を立てなくなったし、張られていたポスターは一度全てが取り剥がされて真っさらな状態になった。The Whoのサポートメンバーが来店したときに書いてもらったサインも、新しい塗装の下に隠れてしまったみたいだ。そして僕が敬遠した年季の入った看板は、真新しい、ブルーの看板になっていた。

真新しくなった、WHOの看板

最近よく、この店の話が話題に上ることが多い。それは、リニューアルされたWHOに、WHOらしさはあるか、という話だ。話の発端は、WHOの系列店で働くお姉さんが、「やっぱり、なんかちょっと違うなって思ってしまう」と発言したことがきっかけだった。場所も名前も、働くスタッフの顔ぶれも変わっていなければ、来るお客さんも変わっていない。正真正銘、そこはWHOのはずなのに、こう言ってしまうと誤解があるかもしれないけれど、なんだか「ニセモノ」のように見える、と言うのだ。

当然、このWHOはニセモノなんかではなく、本物だ。つまりこの話は、店の「本物らしさ」とは何なのか、それはどこに宿るか、という議題なのだろう。そしてこの話を受けて考えてみると、やはり一つのキーワードは「年月」であり、どうやら僕たちは、「年月を感じさせる劣化や老朽化」に何らかの本物らしさを見出しているようだ。先日、ゴールデン街のあるバーに連れて行かれたとき、そのバーの居心地がいい理由を探した結果、タバコの煙で変色した壁と天井なんじゃないか、とふと感じたのも、おそらくは似たような理由からだ。

壁の変色、塗装の剥がれ、破れたポスター、剥がされたシールの跡、落書きのように書かれたサイン、画鋲の穴が空いた壁。

そういった、様々な劣化や老朽化の証を見つけることを通して、僕たちはその店がこれまで辿ってきた歴史の存在を感じることができる。ちょうど去年、僕が古びた看板と破れたポスターをみて、その背後にある歴史の長さに気圧されてしまったように。

ちょうどこんなことを考えていた矢先、またWHOの系列店で働くお姉さんが店に来た。新しいWHOはどうですか、と聞くと、「新しすぎて気持ち悪いから、みんなで壁にタバコの煙吹きかけてんねん」と笑って答えた。

その回答に僕は何だか拍子抜けしてしまって、結局そういうところがWHOらしさなんだろうな、と思い直してしまったのだ。

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Sho Okawa
exploring the power of place

大学院生2年目。新宿ゴールデン街で働いています。