アマー (อาม่า)
「アマー・ラッキー」略して 「アマー」。私はおばあちゃんを呼ぶとき、いつも「おばあちゃん」のあとに工場の名前をつける。
私が住んでいるところは、アマーが30年前から自宅として建てていたところだ。 まるで小さな村のように、工場の間に親戚の家が建ち並んでいる。 子供のころから、工場の作業音が自然な背景音だった。この工場は私の遊び場としてよくかくれんぼをしていた。そのとき、工場内でアマ―によくばったり会う。アマ―は、ゴルフカートを乗りながら作業員を監督したり、工場がきちんと整備されているかどうかをチェックしたりしていた。工場を人に例えたら、アマーは目と耳になる。
しかし、新型コロナウイルスが広がって以来、アマ―が工場を回る姿はほとんど見なくなった。 彼女は昨年、入院していたため、家族も含めて人に会うのがますます怖くなった。 彼女に会おうとしたら、フェイスマスクとフェイスシールドを必ずつける。 彼女の生活リズムは大きく変わっていない。しかし夜のドラマより、新型コロナウイルスに関するニューズをつくづくチェックしていた。
2020年5月9日、アマ―は85歳になった。 もう2ヶ月が経ったが、私たちは初めてZoom で会った。 アマ―のお手伝いさんの協力を得て、iPadでZoomミーティングを設定し、誕生日のお祝いのメッセージを送った。
大家族の中で末っ子だった私は、他のいとこたちのようにアマーと仲よくはなかった。一緒に旅行に行くことはなかったし、じっと座ってアマ―の話を聞くこともできなかった。アマ―に会いに行くのは、大学のために日本に帰る前、形式的に「行ってきます」と言うしかなかった。その時、彼女はいつも同じ質問をしてくる。
「いくつになったの?」
「卒業したらどうするの?お父さんが待っているよ。」
「彼氏はいる?いい人がいなければ、いなくてもいいんだよ。 私みたいに独立していけば。」
私は彼女の質問を避けるのが得意。もしかしたら、私は子供の頃からずっと、アマ―の期待に怯えていたからかもしれない。ビジネスを続けなければならない!ラッキーは私の場所だ!そんな期待には重く感じていた。 みんなが見てきたような頑張り屋で野心家というより、 アマーは威圧的な存在だった。 不思議なことに、歩いて5分のところにいるのにもかかわらず、彼女との距離が遠く感じた。
最近になって、両親の励ましを受けて、やっと彼女に会いに行った。彼女は前日に父に私のことで電話をしていたようで、テレビで見た、日本に関するニュースに関係したものだろう。 部屋に入った瞬間、彼女の顔が明るくなった。
「ヌイ! どうした?」
「久しぶりです。」
「日本に帰るの?行かないで。ここで働いたり勉強したりしなさい。今は危ないのよ。」
時事問題から離れてゆっくりと会話をしていると、アマーはiPadからアルバムを開いて私に差し出した。
写真はスキャンしたものが多かった。 アマ―と亡くなったおじいちゃんの写真、旅行の写真、いとこの結婚式の写真など。 最近どうしているかと聞くと、「相変わらず」と答えてくれたが、過去の出来事はすべて長く話してくれた。それから、彼女は会話の流れを私の将来の話に戻した。
「まだここで働きたいとは思わないです。まず外で体験してみたいです。」
「外って、何があるの?ここで体験できるよ。何でわざわざ 遠くまで見に行くの?」
アマーの言葉からは、頑固さと粘り強さがにじみ出ていた。 それはとても強力でありながら、懐かしかった。 彼女と2人だけで座って話したのも初めてかもしれない。 テーブルを挟んで向かいに座って、やっと彼女をよく見れるようになったような気がした。
作業員がドアをノックして会話は途中で終わった。私はまたしても彼女の質問には答えずに部屋を出て行った。成長したとはいえ、時間が経っても変わらないものもある。でも、もう少し頻繁にアマ―の話を聞きに行った方がいいのかもしれない。