キラキラは

Mariko Yasuura
exploring the power of place
4 min readNov 10, 2018

これまでの記事でも何度も触れてきたことなのだが、私は北海道の地方出身者である。大学進学とともに地元を離れることを決め、上京をしたが、今生活をしている場所から地元へ行くには、海を越えなくてはならない。地元は北海道のなかでも都会と言われる地方都市ではあったが、私が小学生のときはまだインターネットが今ほど普及していたわけではなく、一家に一台パソコンがあれば情報源にかなり恵まれているような状態だった。
幼い頃の私はというと、かなりのおませさんだった。3人兄妹の末っ子として育ったためか、かなりの目立ちたがり屋で、年上の人と話をすることが好きな女の子だった。母親に言わせれば、話の内容が同世代の女の子たちとは少し違ったらしく、世界は自分中心に回っていると、本気で思っているような子供だった。(今考えると勘違いにも程がある。)

そんな風にませていた私が一番好きだったことは、家の近くにある本屋でファッション雑誌を大量に買うことだった。地方あるあるかもしれないが、私の地元では子供たちが遊べる空間が非常に少なく、日頃の楽しみは本屋に行くことしか楽しいことはない。そして、これも地方あるあるだが、地方都市は都心部の発売日である、月はじめより2〜3日遅れて販売が開始される。そのため、月が変わっても目当ての雑誌を買うのに、少し辛抱しなければならなかった。地方都市の情報伝達のスピードの遅さに、子供時代の私はいつも嫌気がさしていたのを今でも鮮明に覚えている。

ファッション雑誌に広がる世界は私にとって新鮮なものだった。知らない風景や、見たこともないお店の情報がそこには詰まっているのだ。雑誌のなかの世界に、いつか私も足を踏み入れてみたいと強く思っていた。

母親の実家が関東にあるため、小学生のときに祖父母の家に泊まり、念願叶って、初めて渋谷のスクランブル交差点に行ったときは、今夜花火大会でもあるのかと疑ってしまうほどの人の多さに驚いた。人生で初めてのSHIBUYA109に行った時も目をキラキラさせて、付き添いで一緒に来てくれた母親を振り回した記憶がある。キラキラの宝庫だと思っていた街が私の目の前に広がっていたのだ。そのときの経験を学校に戻って友達に自慢げに話していた私は、今振り返ればとても生意気で、滑稽な子供だった。

上京してから3年以上が経つというものの、自分で好んで渋谷に行くことは滅多にない。友人とご飯を食べに出かける際に、お互いのちょうど中間地点だから、という理由で渋谷を選ぶことが圧倒的に多い。

2018年11月13日(はじめて渋谷に出かけたのも11月13日)

人で溢れていて、そこに行けば必要なものは大概揃うような環境は、私にとって少し情報が多すぎる場所だ。

私にとってキラキラと輝くものの宝庫だと思っていた街は、今の私にとってはそうではない。情報に乏しく、やることが他に多くなかった幼い頃の私が見出していたあのキラキラは一体どこへ行ったのだろうか。あの時の感動を感じられなくなったことに少し寂しさを感じてしまう自分がいることは確かだ。
あのキラキラがどこへ行ったのか、よく考えてみてもわからない。しかし、その背景には、年齢を重ねていくなかで、自分にとって心地よい環境や素敵だと思えるものの価値観が変わった自分がいるのだろう。上京してから、様々な人や物、そして情報と出会っては別れてきた。そして、自分にとって大切だと思うものを吸収しては、その分何かを捨ててきた。捨てる、というと聞こえは悪いかもしれないが、捨てることはきっと悪くない。自分に余分に付着しているものをそぎ落とし、そして今の自分を作り出すことができているのだ。そうやって、自分自身を受け止め、肯定してゆく。そんな日々を送ることに充実感を抱けているのは、あの頃の渋谷を思い出せたからだろう。

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