ノリコさん

Ayaka Sakamoto
exploring the power of place
4 min readJan 19, 2020

12月のある日、私は東京にやって来た母と恵比寿で、たわいもない話をしながらランチをしていた。しかし、なぜだか少しの高揚感と緊張感に包まれていた。

理由はひとつ。ノリコさんが斜め前のテーブルで食事をしているからだ。

『ノリコさん』は私がよく行くパン屋の店主だ。

そのパン屋は学芸大学駅から程なく歩いた、閑静な道沿いにひっそりと佇んでいる。店内に数人入ればいっぱいになってしまうくらいの小さなお店だ。

大学が早く終わる水曜日。私は急ぎ足でいつもお店に向かう。
近くまで来ると、外からショーケースに丁寧に並べられたパンが見える。
「よかった、まだいろんな種類が残ってる」心の中で喜びながら扉を開ける。

「こんにちは!」
私は今日も元気よく店内に入る。
するとお店の奥から、「こんにちは〜」とおっとりした声とともに、素敵なベレー帽をかぶったノリコさんがにこやかな笑顔で出迎えてくれる。
「今日もね、新鮮なパンがたくさんあるので、ゆっくり選んでいってくださいね」
ノリコさんはいつもこう言って、私がパンを選ぶのを優しい顔で待っていてくれる。
「じゃあ今日はコレとコレでお願いします」
私はいつものようにパンを2つ選ぶ。
「えーっと今日のお会計は〇〇円です」なんていうやりとりをして、パンを受け取ったら、ここからが始まりだ。

「ノリコさんがこの間教えてくださった神楽坂のお店行きました!素敵だっておっしゃっていた意味がわかりました」
そう、いつも5〜10分だけ、立ち話をする。ノリコさんと少しだけ話すこの時間が私の日課ならぬ週課なのだ。

これは成人の日のショーケース

このパン屋に通い始めたのは4ヶ月ほど前のこと。きっかけは友人が「オススメの美味しい自然酵母のパン屋さんあるよ」と教えてくれたというだけのシンプルなものだ。

初めてパン屋を訪れた日、「いらっしゃいませ〜」と出迎えてくれ、「パンは日替わりで置いてます、ゆっくりお選びください」とノリコさんは言った。
私がショーケースの前で、「うーーーん、全部美味しそうです…」と唸っていると、ふふっと笑いながら「ありがとうございます。でも少しにしておきましょ、パンも鮮度が命ですからね。うちは毎日出会えるパンが違うので、また何回でもいらっしゃってください」とノリコさんは言った。

私はその言葉が心にドシンと稲妻のように落ちた。これまで、パンは余ってしまっても、数日くらい大丈夫だと思っていたし、冷凍保存もできるからいいと考えていた。けれど、それはパンに対して申し訳ないことをしていたと初めて気づいた。その上、「少しにしておきましょ」と言えてしまうノリコさんから、パンへの愛情だけでなく、客への思いやりのようなものも一瞬で伝わって来て、彼女に一気に魅せられてしまった。

パンは2つだけにとどめておいて、「また来ます!」と告げた。

その日から、ノリコさんのパン屋に足繁く通う日々が始まった。

お店に行くたび少しだけパン以外の話をした。ノリコさんも私も食べることが好きなので、美味しいごはん屋さんの話に始まり、私のアルバイト先や、学校、将来の話、ノリコさんのご主人の話や、彼女のやる気の源の話(この話は今度詳しく語りたい)など。毎回少しだけ話すことを重ねて、色々な話をした。お店の中にとどまらず、ノリコさんがご主人と一緒に私のアルバイト先であるビストロに食べに来てくれたこともあった。

彼女はおっとりした雰囲気で落ち着いて話すので、大盛り上がりするなど、そういったことはないのだが、いつも変わらない態度でいてくれるノリコさんとお話しする時間が、この数カ月で私にとって欠かせないものとなっていた。

そんなノリコさんが、偶然恵比寿のお店で一緒になったものだから、私は嬉しくて仕方がなかった。

ノリコさんが先に席を立つ。
「びっくりしましたね、またお話しましょう」
彼女の言葉に、私は「はい!」と笑顔で答えた。

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