ハタチ

Kotono Yamada
exploring the power of place
4 min readOct 19, 2019

19歳最後の朝に大学の友人から、「12:00に恵比寿駅集合できる?」というラインがきた。初めての恵比寿。雑誌で見たオシャレな大人が行き交うガーデンプレイスのイメージが強かった私にとって、20歳を迎える上で胸が高鳴るようなロケーションだった。

友人と合流し、美味しいご飯を食べながら、「もうハタチだよ??大人だね〜」と何かの始まりを期待するような気分で会話をしていると、あっという間に楽しい1日が終わっていた。帰りの電車で揺られながら、気づくと私は深く考え込んでいた。今までの誕生日とは少し違う感情があることに。ずっと先のように感じていた20歳を迎えてみたら、思いがけず、先に対する憧れ以上に過去を懐古する想いばかり頭を過ぎっていた。

これまでは誕生日を迎える度に肯定的な気持ちでいっぱいだった。歳を重ねても次の誕生日が待ち遠しく、とにかく早く大人になりたかった。

「10代」に憧れた9歳。

「ティーネイジャー」に憧れた12歳。

「華のセブンティーン」に憧れた16歳。

「成人」に憧れた17歳。

そしてあらゆる法律上の年齢規制から解放される20歳を迎えた。

今までの私にとって誕生日を迎えるというのは、目の前の扉を一つ開けることであった。その扉を通り抜けると、今まで禁止されていたことが自由にできるようになり、そしてまた次の扉が見えてくる。常に次を心待ちにし、早く「大人」というゴールにたどり着きたいという気持ちでいっぱいだった。しかし、20歳の扉を開けてみたら、その先に新たな扉はなく、ただただ無限に広がる空間が待っていた。次の扉という目印がなく、私は戸惑った。それと同時に大人になった重い責任感やティーンというブランドを失った喪失感に襲われた。ついに20歳になれた喜びの裏側には、未来に対する期待で胸を躍らせていた自分を懐かしむ寂しさがあった。

誕生日から3ヶ月半経った今、改めて20歳であることについて考えるようになった。振り返ってみると、「20歳の特権」をほとんど享受していなかった。例えば、コンビニでお酒を買ったり、競馬を予想したり、同意書なしで旅行に行ったり、クラブに行ってみたり…どれも20歳になる前は「やってみたい!面白そう!」と思っていたものなのに、いざその歳になったら何も行動に移していない。今までと何も変わらないことを繰り返しているだけであった。私は20歳の扉が開いただけで満足していて、それによって見えた新しい世界やできるようになったことを意識もせず、むしろ失ったものばかりに目を向けていた。

急いでノートとペンを手に取り、今だからこそできるようになったことを書き出した。出来上がったリストを眺めながら、私の中で徐々に新鮮な気持ちが膨らんでいった。20歳に面白さが無いわけではなく、自分自身が何も行動に移していなかった。だからこれからは、できるようになったことを、一つずつ楽しみたいと思った。その第一歩として、私は自分の中で新たなルールを決めた。これからは自分自身で次なる目標となる扉を作り、一つずつ開けていくことによって自らの人生を設計していこうと決心した。そうすることによって、目印を失い過去のことばかりに目を向けるのではなく、自分が作った次の扉に向けて今の自分を充実させられるのではないかと思った。

そんなことを考えながら、お気に入りの映画の一節を思い出した。

“I just try to live every day as if I’ve deliberately come back to this one day, to enjoy it, as if it was the full final day of my extraordinary, ordinary life.”

(“About Time” 2013)

今になって10代を羨むように、いつか20歳に戻りたいと思うときが必ずくる。だから私は、今生きている、一度しかないハタチという時間を(わざわざ未来からタイムトラベルをしてこの瞬間に戻ってきたかのように)最大限充実させることを忘れずに日々を過ごしたい。

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