「プリ」

Erika Hiyama
exploring the power of place
5 min readJun 9, 2016

最近はすっかり、いつもSNSを見ていないと落ち着かなくなってしまった。

そんなわたしが初めてネット上に書き込みをしたのは「ふみコミュニティ」という掲示板だった。そこで当時流行っていた「前略プロフィール」や「魔法の図書館」、「mixi」などを知り、わたしは次第にふみコミュからは離れていった。小学生のわたしにいろいろなことを教えてくれたあの場所は今はどうなってるんだろうとふと気になって、およそ10年ぶりにサイトを訪れてみた。

ふみコミュニティはフミコミュ!に名前を変え、書き込みの際に「ここは出会い系ではありません」という注意書きが表示されるようになっていた。ほかには、専属モデルや美容商品のプレゼントコーナーなど、さまざまなコンテンツを増やして存続していた。

そのなかに「プリ研」というコーナーがある。

かつてのようにユーザーが書き込む掲示板だけではなく、23モ(ふみも)と呼ばれる専属モデルが撮影したプリクラをもとにまとめられた撮影テク・落書きテク・プリ機レポなどの記事が更新されている。記事によると、最近はやりのポーズは「ゆるぴーす」らしい。わたしがプリクラを撮っていた頃には「裏ピース」「ダブルピース」「あごピース」などがあった。

わたしが頻繁にプリクラを撮っていたのは小学校の高学年から中学生くらいだろうか。何かのついでに撮るのではなくメインの遊びが「プリを撮る」で、多い日には8回ほどプリクラを撮るという日もあったくらいだ。(2人で3200円かかるから、少ないおこづかいを貯めてから行くイベントだった。)撮ったプリクラはノートのプリ帳に貼って、文字やシールでデコり、友達と見せ合うのが楽しかった。

発掘した下敷きとプリ帳

部屋をそうじしていたら、中学で使っていた下敷きと「4さつめ」「6さつめ」と書かれたプリ帳を発掘した。勇気を出して開いてみると、当時読んでいたセブンティーンの切り抜きとギャル文字で書かれた文章に時代の推移を感じた。

今ではイオンになってしまった場所はサティだったし、サッカー日本代表はオシムジャパンだったのだ。貼ってあるプリクラの3割は変顔で、らくがきで顔がほとんど隠れているものもある。「仲良し」は「仲吉」と書きかえられ、文末は「ぢゃん?」という不思議な疑問形で終わる。

運動会などの大きな行事や席替えのような出来事など、日々の記録がプリとプリ帳の上で行われていた。だれかに見せることを前提としているそれには、当時の仲仔(仲良しな子)への愛が大げさなほどに書かれている。

『うちらは心友♡まぢラブだからぁ↑↑』

そんなプリ帳も6さつめの途中で終わり、そこから先のプリクラはペンケースに入っていた。一番古いもので中学1年生の夏。中学に入り、携帯電話を持ちはじめるとコミュニケーションの中心はプリ帳からインターネットにシフトしたのだ。

撮影した6枚のうち1枚は赤外線通信で携帯に送ることが出来たから、待受けにするようになった。そのうち、パケホに加入することが当たり前になり、SNSのアイコンにしたり、友達同士でプリクラを送り合うようになっていった。

プリクラ

わたしがプリクラを撮らなくなった理由はいくつかある。

1つはスマホのカメラアプリの進化。数えきれないくらい多くのアプリが誕生し、自然にデカ目補正や肌を綺麗にしてくれる機能がある。しかもタダで撮れて、シェアし放題。そのおかげでわざわざプリ機を探す必要がなくなったのだ。

2つめは、プリクラが進化しすぎてしまったこと。不自然なほど足は細く長く補正され、目の大きさもまるで宇宙人。一時期「詐欺プリ」という言葉が流行っていたが、今はプリクラを見て「この子かわいい!」とは言われない時代になってしまった。

3つめは、単純にみんなが撮らなくなったからだろう。わざわざ約束をして撮ることもなければ、その場のノリで撮ることさえも、ほとんどない。

しかし、今でもこうして鮮やかに残っているプリクラとプリ帳は、わたしの生活をふり返るための貴重な資料となっている。当時の流行りがわかるだけでなく、その瞬間の思い出が蘇ってくるのだ。交換ノートはだれかの手元に、メールは機種変更とともに消えてしまっているから、わたしの少女時代を思い出す手がかりはもはやこのプリしかないのである。

10秒で消えてしまうSnapchatもいいけれど、一生残るプリクラも、たまには撮って遊びたい。慣れないゆるぴーすをして。

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Erika Hiyama
exploring the power of place

365日のコンプレックスライフを送っています。