タナカさん

Kana Ohashi
exploring the power of place
4 min readDec 10, 2017

朝から近所のファミレスにこもって、しめきりを目前に控えた原稿を書き上げるはずだった。7時前には店に着いた。6時から10時までは、飲み物だけ頼めばトーストとゆで卵がつくモーニングサービスがある。私はそれを頼まずに、飲み物、トースト、サラダ、目玉焼き、ソーセージとベーコンがつく朝限定のセットメニューを頼んだ。お腹と心を満たし、コーヒーを飲み終えて、ノートパソコンを開いた。

原稿を書き始めようとしたその時に、年配の女性が店に入ってきて、向かい側の席に座った。そこに女性店員(以下、タナカさん)が寄ってきて、「いつものでよろしいですか?」と声をかけた。「うん、いつもので。カリッカリに焼いてね」「かしこまりました。カリッカリでございますね」。数分後、女性のもとに、少ししっかりめにこんがりと焼かれたトースト、ゆで卵、ミニサラダと納豆が運ばれてきた。モーニングサービスとサイドメニューの合わせ技だ。女性は、サラダの上に納豆を乗せて食べ始めた。

しばらくして、杖をついた白髪の男性が店に入ってきた。タナカさんは、このファミレスの定型の挨拶をするのではなく、「おはようございます。お連れ様は、いつもの席でお待ちですよ」と声をかけた。男性は微笑んで「ありがとう」と言い、奥の席に向かった。老眼鏡をかけて新聞を読んでいた女性が、タナカさんを手招きした。「熱々のをお願いね」「ダージリン紅茶でございますね」。阿吽の呼吸とはこのことか、というような受け答えだった。私はだんだん、タナカさんと客のやりとりから目が離せなくなって、書かなければならない原稿の存在を忘れ始めた。隣の席に座ったスーツ姿の男性が、呼び鈴を鳴らした。タナカさんが注文を取りに来た。男性がメニューを見ながら言った。「モーニングサービスのほかに、サイドメニューのベーコンを2枚頼んで、サービスのゆで卵の代わりに、ベーコンエッグを作ってもらうことできますか?」私は心の中で、さすがにそれはないでしょう、とつぶやいた。ところが、タナカさんは少し間を置いてから、笑顔で「かしこまりました。ベーコンエッグでございますね」と答えた。こうしてメニューにはなかった「ベーコンエッグ」が生まれた。そのうち、この男性客はこれを「いつもので」と頼み、タナカさんは「いつものですね」と応じるようになるのだろうか。

チェーン店は、外観、商品やサービスの内容に統一性を持たせて、全国(あるいは世界)各地で展開されるものだ。地域が違っても、同じ看板の店に行けば、同じような体験ができると期待される。統一性があるからこそ安心だと言われたり、個性がなくてつまらないと言われたりする。イタリア人の友人は、店の人との交流を楽しみたければ個人が経営するカフェに行けばいいし、ただ仕事をしたければ店員との交流がないチェーン店に行けばいいと言う。これはチェーン店に対するごく一般的な見方だろう。しかし、人間の営みはそれほど単純ではない。つぶさに観察してみると、チェーン店でも、日々、人びとの交流と小さなドラマがたくさん生まれている。客は、メニューを読み変えたり、メニューにはないものを編み出したりする。店員は、マニュアルに忠実に対応することもあれば、マニュアルを度外視して客を思いやることもある。そういう両者が出会い、やりとりすることで、現場に活気が生まれる。メニューやマニュアルなど用意された枠組みがあっても、そこにはおさまりきらないものがある。客と笑い合うタナカさんを見ながら、この世界に個性のない店などあるのだろうかと思う。新たに鳴らされた呼び鈴の音で我に返り、書かなければならない原稿の存在を思い出した。時計は9時を回っていた。仕事は全くはかどらなかったけど、胸が高鳴るのを感じながら店を後にした。

--

--

Kana Ohashi
exploring the power of place

Ph.D. in Media and Governance. Associate Professor at Department of Communication Studies, Tokyo Keizai University.