モノがあるということ

堤飛鳥
exploring the power of place
4 min readMay 8, 2020

一人暮らし、6畳1Kロフト付きの部屋。私の部屋の特徴はモノがとにかく多いということだ。モノが多いため、必然的に棚など収納の数も多い。棚の上にさらに収納棚を置いたり、30cmの隙間があったから棚を注文したこともあった。一体何をそんなに収納するモノがあるのかというと、ほとんどは本や機材、画材工具などである。しかしそれも、場所によって種類が決まっているというわけではなく、本と画材とが同じ棚に並べてあったり、あちこちに同じペンのセットが収納されていたりといった様子だ。おそらくミニマリストに見つかると私の家の半分以上のモノが捨てられてしまうだろう。部屋全体を見渡して気づいたことは、私は部屋を自分の思考を可視化するためのものだと考えている傾向にあるのではないかということだ。

ある一つの本棚を見てみる。大きさもバラバラ、ジャンルもバラバラ、本の上に本が重ねておいてある。私は突然、衝動買いのように本をまとめて購入することがよくある。タイミングは大学で講義を受けている途中や寝る直前など。共通しているのは、自分の頭の中が整理しきれない時や考えに煮詰まった時だということだ。その時考えていたことを残しておく、整理するために一度可視化する。この本棚は、それが現れた結果である。一見ガサツな様に見える本の上に横向けで積まれている本であっても、私にとって結構大事な置き方だったりする。部屋のあちこちに置いてあるペンも同様に考えられる。同じ種類のペンであっても、それぞれ違う目的のためにそこに置いてある。そのモノがどんな機能を持っているかという以上に、そのモノがそこにあるということが重要なのだ。

つまりは、自分の考えを一度モノという形にして置くことで考えを整理しやすい状態にし、それと同時に頭の中に考えるための余白を作っているということだ。そして何より、三次元で分かる形として思考を残すということは、その時の思考経路までを残し、辿ること容易にする。言わば、スケッチブックの書いた痕跡と同じ役割を果たす。それ自体がその時の思考から自分の状態までもを物語り、自分の綴った思考やアイデアをより鮮明に思い出すことができるのだ。文章の初めにミニマリストいう言葉を書いたが、その文脈における意味を “ 外の世界を整えることで内面を整える ” という思考と表すのであれば、私のモノがあるということへのこだわりは “ 考えを全てモノとして自分の外に出すことで内面を整える ” という思考と表すことができるだろう。行動自体は真逆だが、考え方の本質的な部分はもしかすると通じているのかもしれない。

4月中旬。コロナの影響でバイトがなくなり生活を維持することが厳しくなった私は、実家への帰省が余儀なくされた。おそらくこのまま大学の新学期を迎えることになるため、衣服などに加え本や画材など、授業に必要となりそうなモノを大量に持ち帰る必要があった。スーツケースに隙間がある限り、私は机の上、その周り、本棚などからモノをとにかく詰めていった。その荷物の中には実家にあるモノでも代用できるものや、工夫すればなんとかなるものもたくさんあった。しかし、私にとってはそれは全て持ち帰る必要のあるモノなのだ。結果、机とその周辺の空間を全て切り取った様な状態を実家に持って帰ることとなった。

ピアノを机代わりとし、左右にそれぞれテーブルを用意しそれぞれの場所にモノを並べている。改めて自分の周りにはモノが多いということを実感する。そしてこれは頭の中を再構築した結果でもあると考えられる。これらのモノが整頓されていく、つまりは考えが自分の中で整理、消化される。そこにまた新たにモノを積み上げていく。それを繰り返し、これからも自分と向き合っていくのだろう。「うち」は私自身そのものだった。

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堤飛鳥
exploring the power of place

写真はゆのさん(@_emakawa) mediumと卒プロの記録。