大切な紙切れ

Mari Tsuchiya
exploring the power of place
4 min readNov 10, 2016

私は、昔から思い出に浸ることが好きだ。自分が残したモノから芋づる式に記憶を呼び起こし、少し昔を振り返る時間を楽しむことで原動力を蓄える。そんな私は自分の記憶を呼びこしやすくするために、これまでいくつかの方法をとってきた。簡単に見返しやすいよう、スマホで毎日何かしらの写真を撮りそれに付随して日記をつけたり、使い終わった過去10年分の手帳をずっと保存したり…。中学高校の吹奏楽部時代に演奏した100枚以上の楽譜を今だに大切に保管していたりもする。

歳を重ねるごとにモノは増え続ける一方で、処理に困る未来は安易に想像できるにも関わらず、ふとした時にこれらを見返す時間を楽しむためだけに、取っておきたくなってしまう。悪くいえば私は「捨てられない人間」なのだ。そんな私にとって、最近、新たに捨てるのを躊躇するモノが増えた。それは「レシート」である。

買い物をすると手に入るレシート。つい捨て忘れてお財布の中がこの紙切れでパンパンになってしまったり、その前に受け取らなかったりする人も多いのではないだろうか。そもそもレシートは領収証としてモノを買った行為の形式的な証拠という重要な意味をもつ紙であるが、その役割が果たされずにゴミ箱行きになってしまうことが多い。現に、安価なものを多く取り扱うコンビニやスーパーでは、「不要なレシートはこちらへ」というBOXをレジ前に置いている店も少なくなく、粗雑に扱われがちである。

セブンイレブンのレジ前

しかし、実はこの紙きれは、領収証としての役割以上に、私たちの生活を浮き彫りにしてくれる大切な情報の宝庫なのだ。私がこのことに気付いたのは、大学の卒業プロジェクトにおいて、とある姉妹の生活実態に迫るべく、4人の人物が7ヶ月にわたって手に入れたレシート、合計1000枚近くの回収を試みたことがきっかけだった。(プロジェクト参照:綿毛の友

このプロジェクトを通じて、レシートをまじまじと見る癖がついたからか、私は、自身のお財布の中にも目を遣る頻度が増し、買い物をした際には必ずこの紙切れを受け取るようになった。自分の目で、自分が手に入れたレシートを見ていると、生活を少し客観的な立場から見られる気がするのだ。

手順としては、まず、お財布にはいっているレシートすべてをごっそり出して並べてみる。すると、日々生活している中で、私が何に時間をかけているのか、自身の生活における優先度を知ることができるのだ。ご飯屋さんのものが多ければ、友人との時間が多かったなぁと思ったり、カフェのものが多ければ、コーヒーを飲みながら1人で考えごとをしていた時間だなぁと思ったり、本屋さんのものを見れば、毎月これくらいのペースで本を読んでいるのか…と振り返ることができたりする。もちろん、お金を払わずに時間を過ごすこともあり、レシートとして見えているものが生活のすべてではないけれど、自分が何に対してお金を使い、どんな時間の過ごし方をしているのか、家計簿をつけるまでもなく安易に把握することができるのだ。

そして次に、その中の1枚1枚に目を通していく。レシートには、お店の名前、お店の住所、買い物をした時間、買ったもの、買った個数、お金の出し方…など言うまでもなく数多くの情報が記載されている。少し前の自分の行動が自動的に印字されているこの情報は、過去の自分を自然と蘇らせる。モノを買ったプロセスを思い出すこともあれば、その時の自分の心情や友人と話した内容まで浮かび上がることもある。そして、この感覚がこれからの自分の行動を改めたり、新たな発想を生み出すのに役立つこともあるのだ。

私のお財布からでてきたレシート

多くの人は、私が冒頭で述べたように、自分の記録に残したい時間に出会うと、写真に撮ったり、文字にして日記に書き起こしたりする。これらは、自分の「残したい」という欲に基づいて記録されるものであるが、レシートは意に反するものまで、すべてを呼び起こしてくれる。そういった意味では、この紙切れは、自分の最も自然な行動や気持ちを記録しているモノなのかもしれない。そう思うと、やっぱり捨てるのが惜しくなる。

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