一人暮らしのスタートライン

風呂に入らず、シャワーで済ますようになってからはや2ヶ月。大学2年目にして、やっと一人暮らしを始めた。


高校卒業までは実家にいて、大学進学してからの1年間は居候していた。その時は気づかなかったが、一人暮らしというものは家事力が必要になる(そりゃそうだ)。家事力は、家における日常生活を送るために必要な能力だ。

今までろくに家事をしていなかった僕は、家事をするということがどういうことなのか、分からなかった。思えば、人生最初から一人暮らしな人はいない。みんな、最初は誰かと住んでいて、「一人暮らし」に色々なイメージを持つ。例えば、僕の炊事に対するイメージは

  • 毎日自炊し、料理は3品以上作る。
  • お弁当を作る
  • 冷蔵庫の中をみて、さっと料理が作れる

という感じだ。僕は、本屋に行って主婦雑誌や料理本を読んだ。そうすることで、色々なイメージを膨らませるが、どんどん現実と乖離していく。どうしてだろうか。

例えば、ベネッセが発刊する主婦雑誌「サンキュ」を読む。主婦雑誌を見ると、色々な特集が並んでいる。見出し文の1部を抜き出すと、「レシピを見なくても」「テキトーに作っても」「ミニマリストになれなくても」という何かしらの諦めが並んでいる。しかし、雑誌という人の目に触れる以上、出てくる主婦は少し気合いを入れて、家を片付ける。

最近、一人暮らしのための作り置き料理本を買った。作り置きをして、学校がある平日の調理を楽にしようというための本だ。でも、作っているのはプロの料理家だし、撮られた料理はきっとプロのカメラマンが撮っている(「最近は普通の主婦が料理本を出している」みたいな意見もあるが、本を出した時点でそれは普通の人じゃない何かであることに間違いない)。


そのイメージを抱えたまま、一人暮らしを始めた。


当然、無理だった。

家事力のポジショニングマップ。曲線が今の私の家事力を表している。

イメージ(理想)と現実の差は激しい。家事の量に反してクオリティが低く、キャパオーバーになってしまった。実家暮らしだったら、無理だったとしても母がまた明日から料理を作るし、掃除もしてくれるだろう。ただ、一人暮らしだとそういうわけにもいかない。

そこで、僕は、家事を若干諦めた。

僕は、風呂に入ることを諦めた。長風呂だった中高生時代、「絶対風呂には毎日入りたい!」と語っていた僕はどこかに行ってしまった。

僕は、電子レンジを使わないことを諦めた。「美味しくないし、作られた食べ物はそのままの状態で食べたい」と語っていた僕はどこかへ行ってしまった。

でも、諦めることははネガティブに語るべきではなく、むしろ生活力を高めるポジティブなことと捉えるべきだろう。僕はこの力を「諦め力」と呼んでいる。家事力と同じくらい、下手したらそれ以上大切だ。限られた時間を有効活用するために、なにをしてなにをしないか、という「選択力」とも言いかえられる。風呂を毎日焚くことは現実的ではないし、電子レンジという便利なツールは積極的に使ったほうがいいだろう。

諦めて家事の量を減らすことで、ある程度のクオリティの家事ができる(ちなみに現在、僕は①と②の間だ)。

膨ませてきたイメージを、小さく小さくして、最低限の家事の量から始めることにした。ここにきてようやっと、イメージと現実が、合致しつつある。

今まで抱いてきたイメージ(幻想)がどんどん形を変え、現実を知り生活すること。それは、生活力が上がっていることだろう。あることを諦めて割り切った上で日々を生きていく意味で、「諦め力」は家事力になる。


こうして、一人暮らしを初めて2ヶ月になる僕は、ようやく一人暮らしのスタートラインに立てた。諦め力は重要だが、それは始めるためのきっかけに過ぎない。「諦め力」でも諦めきれなかった(というか必要な)家事を、続けていくこと。それでこそ、「慣れ」ることができ、家事力が上がっていく。

家事力向上の流れ。一度サイクルが回り始めれば、ポジティブフィードバックによって、どんどん家事力が上がってくる(はず)。いつかは、当初抱いていたイメージ(理想)に到達できる(はず)。

3品は作れないけれど、1品は作る。お昼ごはんはまだ作れないけれど、おにぎりは握っている。冷蔵庫の中を見るだけでは作れないけれど、クックパッドを見ながら作る。できることから、コツコツと充足感を、積み上げていく(つづく)。