一枚だけ、届きます。

Aberi.
exploring the power of place
4 min readDec 19, 2016

高校を卒業して約2年。一人暮らしをするようになってから、初めての冬を迎えている。実家を離れて初めてわかる、ということを実感しているからか、最近はよく実家にいた頃のことを思い出す。中学生の頃、この時期の私のすることといえばひたすら年賀状を書くことだった。年賀状と言ってまず初めに思い浮かぶのは、受け取って読む時のあの高揚感。元旦の朝にポストを何度も覗いては、早く届かないものかとやきもきしていた。家族旅行で元旦に家を空けている時は、早く帰って年賀状が見たいと言って、お母さんを困らせていた。あの一年に一度きりの葉書には、わたしの知らない家族のものがたりが見え隠れしていた。読んでは、送り主がどのような人なのかを聞いて家族の一面を垣間見れるようで、楽しかった。

もちろん、読むだけでは年賀状は来なくなってしまう。ということで、毎年わたしも年賀状を書いていた。けれども、高校受験の頃から少しずつ枚数が減っていった。年賀状を送る代わりに、SNSやメールで済ますようになった。私のお父さんにもその波は届いたようで、今や女子高生が使うような可愛らしいテンプレートで、私にも「あけおめメール」が届く。SNSの勢力拡大の勢いは凄まじく、仲の良い友人には送っていた年賀状も、今では全てSNSだ。やはり、年賀状はもうSNSに新年の挨拶を述べる座を明け渡したということだろうか。

ここ数年は、わたし宛に届く年賀状といえば、近所の美容室から送られてきたものくらい。と、実は、一通だけ、中学生の頃から届き続けている年賀状がある。

高校卒業の年に先生から届いた年賀状

まさか、この人から年賀状が届くなんて、当時は想像もしなかった。送り主は、中学校の先生。彼女は部活の顧問で、とにかく厳しいことで校内では有名だった。これまでまともに親以外の人に叱られるという経験がなかった私にとって、あの三年間は強烈なものだった。返事をしても叱られ、しないと怒鳴られ、やると言ったらやらせてもらえず、やらないと退部だという。ときにはボールのみならずペンやペットボトルなど、近くにある様々なものが飛んできた。もう何が正しいのかなどわからずに、ただただ叱られたくないと思っていた。今振り返ると、あれだけ一年中叱られるという経験は貴重なものだが、当時中学生の私は、先生に嫌われているのだと思っていた。それもかなり本気で。一年生の頃は名前を呼んでもらえず、呼ばれる時はもっぱら「お前」だった。だからこそ、はじめて先生から年賀状が届いた時には、驚いた。「サーブが入るようになったね、頑張っているね」。名前を覚えてくれていたことも、ちゃんと見ていてくれたことも、嬉しかった。3年生になって部活を引退した冬には、「努力の人だね、本当によく頑張った」という一言。それだけで全てが報われたような気がした。

中学を卒業してからも毎年届く、先生からの年賀状。なぜ、先生はわたしに年賀状を送り続けてくれるのだろうか。担任の先生から年賀状が送られてくることはあったが、直接的な関係がなくなった今でも送り続けてくれる人は他にはいない。毎年この時期になると、もう来年は届かないのではないかと不安になったりもする。先生と私の関係は、部活を引退してから、中学を卒業してからというようにだんだんと変わり続けている。引退した後に話したときの、先生のいつになく柔らかい表情は今でも思い出すことがある。先生にはたくさんの生徒がいて、全員に毎年年賀状を書くことはとても大変なことだろう。全員ではないとしても、かなりの枚数は書いているはずだ。それでも毎年書き続けているのは、年賀状を書くことでわたしたちに忘れていないということを伝えているということなのかもしれない。あるいは、書くことによって先生自身が生徒のことを忘れずにいられるためだろうか。年賀状によって、叱るということはなくなっても先生は変わらずに私の「先生」でいてくれる。

年賀状は良いもので、手紙を書くのにはちょっと照れくさいような間柄の人に、自分の言葉を届けることができる。だから、年に一度きりのこの機会を借りて先生に、自分が今取り組んでいること、やりたいこと、悩んでいることを伝える。年に一度で、もちろんそれに返事があるわけではないのだけれど、それでも、伝えたい。むしろ、返事がないからこそ、かけるのかもしれない。

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