温もりに触れたとき

「女の生き方を参考にしなさい。結婚しても一人で生きられる力をつけなさい。」祖父が私にくれた本に手書きのメッセージが書いてあった。その本には様々な業界のプロフェッショナルが一つの道を究める上で指針としている言葉や彼らの生き方が綴られていた。これは祖父が私にくれた唯一の本である。私はこの本を取り出す時、プロフェッショナルたちの生き方よりも祖父の生き方を思い出してしまう。


私の祖父は自分の時間を大切にする人だった。親戚で集まって食事をしていてもさっと済ませて一人部屋で過ごし、休日は行き先も告げずに出かけていく。自分が行きたいところへ行き、食べたいものを食べ、欲しいものを買う。借金をしてまで旅行へ出かけたこともあった。祖母は彼の生き方に悩まされたことも多かったと思う。普段はそっけない祖父だが私たち孫に会うと十分すぎるほどちょっかいを出してくる。そんな人だった。

幼い頃、祖父が撮ってくれた一枚。

高校3年の夏、私は受験と戦っていた。AO入試は一般入試よりも出願時期が早く、提出資料の準備に追われていた。資料をつくり、先生にフィードバックをもらい、訂正する。毎日この繰り返しだった。ある日、私はいつものように先生と面談するため待合室で順番を待っていた。資料とにらめっこすることに嫌気がさし、少し気分転換しようとポケットからスマホを取り出した。思考が停止したのか画面に表示された文字を理解するのに苦労した。自分の目から涙が溢れる感覚。面談中に先生が話していたことは何一つ覚えていなかった。

「おじいちゃんがお空へ行きました。」と母からメッセージが届いていた。長年、病を患い入退院を繰り返しながら何度も難しい手術を乗り越えてきた。この夏祖父がいつも以上に厳しい状態にあることは私も知っていた。お見舞いに行った時、彼の顔に笑顔はなくいつものように冗談を言う元気もなかった。私はちょっかいを出してこない祖父になんだか寂しさを覚えた。それが私と祖父が最後に会った日。祖父は家族や親戚に囲まれながら見送られたそうだ。私以外の家族は祖父のそばにいて、私だけが塾の待合室でぼけっと過ごしていた。なんで私だけ…と急に悲しくなり塾のトイレでひっそり泣いた。

数日後、祖父の葬式が行われた。彼が歩んできた人生を振り返り参列者は花を供える。式に参列しながらも私は祖父母の家に遊びに行ったら、祖父がいつものように冗談を言って笑っているのではないだろうかと考えていた。火葬場に祖父が運ばれ、「最後の挨拶をどうぞ」と言われた。祖父が入った桶が炎の中に運ばれ、私は涙をこらえることができなかった。「親族の皆様は待合室でお待ちください」案内された部屋で小一時間過ごした。炎の中に消えた祖父。その瞬間を自分の目で見たからこそ感じた想いがこみ上げてきた。私は待合室で誰とも話さず、隅で丸まりながら祖父がこの世からいなくなってしまったという現実に一人で向き合っていた。

火葬場の待合室では、私だけが涙を流していた。みんなは祖父が炎の中に入れられて悲しくないのだろうかと不思議に思った。じっと時間だけが過ぎていくのを待っていた。私はその時理解した。私以外は病院で祖父と最後の時間を共に過ごしたことで、祖父が亡くなったという現実に向き合っていたのだ。私が塾の待合室で過ごしていた時間に。その分私には時間が必要だったのかもしれない。2つの待合室で私は孤独と戦いながら過ごしていた。火葬場の待合室で周りを見渡すと、家族がいた。そのことに安心しながら私は家族の温もりを感じた。その時、塾の待合室で一人抱え込まずに友達や先生に助けを求めていたら少しは楽になれていたのかもしれないと思った。高校3年生にして、人の温もりや暖かさに助けられた気がして少し大人になった気分になった。