交差点にて

ハナワヨシノリ
exploring the power of place
4 min readJul 19, 2018

渋谷駅を降りると、いつも人が多くいる。新宿よりも、体感的に人が多く、ゴミゴミと感じてしまうのは、渋谷という名前からして地形が谷であり、渋谷駅に吸い込まれるように人が集まってくるからだろうか。降り立つと、人の流れに流されるようにして、道玄坂方面に向かう。

音楽フェスやライブの密集は嫌いではないが、それとこれとは話が別である。そんなわけで、渋谷という街はそんなに好きになれないのだが、それでも行く機会は少なくない。渋谷スクランブル交差点はいつも人で溢れている。海外の人たちにとっての 観光地になって久しく、井の頭線からハチ公前広場に行こうとする通路では、海外の観光客が並び、ほとんどぶつからずに渡る人々を自分の手元に収めようとスマホのカメラを構えている。

そんな海外の観光客を尻目に通り過ぎ、ハチ公前に到着すると、色々な人が溜まって、何かを待っている。信号が青になるのをまっている人や、友達を待っている人。

特定の人を待っている人もいる。渋谷スクランブル交差点に行くと、いつもテレビの取材班がいて、ディレクターとカメラマン(それにADがいることもある)がセットでいる。彼らは、明確な目的を持って、特定の誰かに対して取材を試みる。バラエティ番組に使うのだろうか、サングラスをかけた男性に話しかけることもあれば、ニュース番組に使うのだろうか、サッカーW杯の前後に日本代表のシャツを着た女性に話しかけることもある。

交差点を待つ人の中にも海外の観光客がいる。正確には「交差点を渡る人」を待っている。信号が青になっても、その場に留まり、スマホを上に掲げて撮影している。さっき上の通路にいた観光客は、信号待ちをしている日本人を撮っていると思っているかもしれないが、実際は多様性にあふれている。

先日、ワールドカップのポーランド戦を見に、渋谷に行く機会があった。ワールドカップの試合を見に行くというよりも、実際には試合後のスクランブル交差点を観に行きたくて行ったのだ。

サッカーのW杯などのイベント事のときには、なぜか渋谷スクランブル交差点が盛りあがる。連日のワールドカップで、渋谷の街がどのくらい盛り上がっているかという報道がされており、僕もこの目で確かめたくなった。

日本がビハインドで迎えた5分、試合を見ていたスポーツバーを後にして、スクランブル交差点に向かった。既にハチ公前には、日本が決勝トーナメント進出を待ちわびる人で溢れていた。対日本の試合が終わり、残るグループの試合が終わった。無事に決勝トーナメント進出が決まった。途端、周辺で盛り上がりが生まれた。彼らは「日本が決勝トーナメントに進出すること」を待っていたのだ。

彼らは交差点で盛り上がったり、渡りながら盛り上がったり、思い思いに喜びを表現していた。盛り上がりを長時間持続させるためには、緩急がなければいけない。信号が青になれば渡りながら盛り上がって、赤になればその場に留まって次の青信号まで待つという行為は、どうやら喜びの緩急をつけるのに丁度よいらしい。

この日はテレビの取材も多く、各局が取材に来ていた。中には、テレビのカメラを待っている人たちもいた。取材班が横断歩道に移動すると、群衆も同時に横断歩道に突っ込んでいった。カメラに付いているライトがこうこうと光っており、それに群衆が突っ込んでいく姿は、「飛んで火にいる夏の虫」を思わせた。

たかが交差点、されど交差点。交差するのは人そのものだけではなく、人の思惑も同様であろう。とりあえず結論が出て満足したので、終電を無くした人を尻目に、深夜バスに乗った。ひとしきり盛り上がった後は、どこかのバーや居酒屋にでも行くのだろうか。僕にはそんな元気ないやと思いつつ、用賀の友人の家に向かいながら、渋谷に思いを馳せるのであった。

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