人との距離感って難しい

ある日曜日の夕方、電車に乗っていると一人の男の子と目が合った。斜め前に座り膝の上に大きなリュックを抱えている。きっと同い年ぐらいの学生だろう。彼はすぐに目を逸らしたが、たまにチラチラとこちらへの視線を感じる。私もタイミングを伺って彼をチラリ。どこかで見たことがある顔だ。それもきっと一度ではない。どこか懐かしい顔。同じテニススクールに通っていたのだろうか。それとも塾が一緒だったのかもしれない。しばらくすると、彼は席を立った。電車が止まり、ドアが開く。そのまま降りるのかと思いきや、彼は足早にこちらへ向かってきた。顔を上げると、彼は目を合わせ軽く会釈してきた。やはり知り合いだったのだ。私は少し嬉しく思い、急いで「こんにちは」と元気に言った。彼は少しびっくりしているようにも見えたが、笑顔で「こんにちは」と一言残し、電車を降りていった。電車の発車音だけが響く車内。私の頭の中は必死に記憶を辿る。彼は一体どこの誰だ。考えるのに疲れ諦めかけていたその晩、ハッと思い出した。彼はただ毎朝、通学の電車で同じ車両に乗っていた他校の男の子だった。同じテニススクールに通っていたわけでも、塾が一緒だったわけでもない。ただ毎朝同じ電車で通学していただけの人に、元気な声で「こんにちは」と言ってしまった。私は少し恥ずかしくなった。人との距離感って難しい。中学校卒業後の春休みの出来事だった。

私は高校生の時、アメリカに留学した。通っていた現地の学校では、半数以上の生徒が学校の敷地内にある寮で暮らしていた。授業が始まって一週間程たったある日の放課後、部屋へ戻ろうと寮の廊下を歩いていると、後ろから声を掛けられた。「風夏、学校にはもう慣れたかい?」振り返ると、モップと緑のバケツを持った清掃員のおばちゃんだった。私は驚いた。なぜ私の名前を知っているのだろうか。まだ簡単な英語しか喋れない私は、「イエス」と返した。するとおばちゃんは満面の笑みを浮かべ、「素敵な1日を」と力強く私の背中を叩き去って行った。何気ないやりとりだが、胸が熱くなるほど嬉しかった。それからしばらく経って、毎週水曜日にある朝礼で、校長先生が「今日はケイの誕生日だ、前へ出てきてくれ」と言った。全校生徒からの歓声を浴びながら小走りで前へ出てきたのは、清掃服の制服に身を包んだあのおばちゃんだった。みんなでバースデーソングを歌った時、私は初めて彼女の名前を知った。アメリカでは、生徒や先生だけでなく、毎日のようにすれ違う清掃員のおばちゃんから体育館の修理のおじさんまで、みんなが家族のような距離感だった。卒業式の日、寮からスーツケースを引いて出ようとした時、いつも通りの制服に身を包んだケイが一人一人にお別れのハグをしてくれた。「元気でね、風夏。」そう言って彼女はまた力強く私の背中を叩いた。

大学に入ると同時に私は日本へ帰国した。私の最寄り駅には改札が一つしかない。朝駅へ向かうと、いつも同じ駅員さんが「おはようございます、いってらっしゃい」と人々に声をかける。しかし返事をする人は多くはない。私は他の人の分もと思い、目を見て元気に「おはようございます」と言ってみる。すると駅員さんは、静かに会釈を返してくれる。彼の名前はなんというのだろう。「◯◯さん、おはようございます」と言いたくなる。名前を呼ばれた時の嬉しさを知っているからだ。彼の誕生日には、地元の人々で「いつもありがとう」と祝えたらどんなに素敵なことだろうか。しかし彼にとって私は、毎朝大勢いる駅の利用者のうちのたった一人。それを思うと、「おはようございます」と元気に挨拶するのが私の精一杯だ。心の中がムズムズする。毎日のように目にする人に、こんなにも親近感を抱くようになったのは留学から帰ってきてからだ。人との距離感って難しい。電車に乗ると、ふとあの日の男の子を探してしまった。

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