信号機下の世界

Kano Sasaki
exploring the power of place
4 min readFeb 19, 2019

大学生の学期末は忙しい。課題や試験勉強など計画的に進めようと意気込むものの、なかなかそう上手くはいかない。わたしの場合、切羽詰ってくるとカフェに通い、必死にタスクをこなすことが毎回の恒例である。先月も課題に追われ、机に向かう日々が続いていた。

平日の昼下がり、この日は渋谷の神南町方面のカフェでもくもくと作業をしていた。通り沿いに面した大きな窓側のカウンター席を選ぶ。作業をはじめて1時間ほど経ったころ、一息つくためふと頭をあげ、窓越しに通りをぼーっと眺めていた。

目の前の横断歩道が目にとまった。だいたい10メートルくらいで、青信号になるまでのカウントダウンポインターが付いているタイプの信号機が備え付けられていた。渋谷駅から少し離れた場所に位置している横断歩道にもかかわらず、途切れることなく人びとが歩いていく。特に信号が赤から青に変わるまでのたった90秒の間に続々とひとが集まってくる様子はとても面白い。

カウントダウンポインターが減っていくのと反対に、どんどんひとは増えていく。ひとりでいるひと、カップルでいるひと、大荷物のひと、友達と4、5人でいるひと、外国のひと、若いひとからお年寄りまで歩くひとは幅広い。みな無意識のうちに適度な距離感をとりつつ、でも隣との隙間を埋めるように信号機下の空間にたたずんでいく。自分がこれから行く反対側に立つひとと向き合いながらじっと待っている姿をわたしはカウンター席から眺めていた。

信号が変わるまでの時間の使い方は人それぞればらばらだ。一点を見つめて立っているひともいれば、スマートフォンとにらめっこしているひと、マフラーをきれいに巻き直しているひと…個人に注目すればするほど、そのひとの人となりが垣間見える気がした。

ポインターがあとひとつ、つまり信号が青に変わる残り10秒前になったとき性格やその人の状況が大きく表れる。待ちきれず一歩、また一歩とじわじわ前のめりになっているひとを見ると、せっかちさんなのかなと分析してみたり、思い切ってフライングしているひとを見ると、度胸のあるひとだなと感心してみたり..。フライングをしたひとにつられるように走り去っていくひとを見たときは、影響されやすいひとなのかな?と予想してみたり。ひとり探偵気分で、人間観察に夢中になっていた。

いざ青色に信号機が変わると、待つ人びとによって自然につくられた空間は一気に開放され、車しか通ることが許されていなかった道に人びとが入り乱れる。探偵気分を楽しんでいたわたしも、数十秒という、短いながらも同じ時間を共有していたひとが、みなそれぞれの方向に歩き去って行く姿を見て、なんとも言えない不思議な感覚をおぼえた。向かう場所も、歩くスピードも、向いている視線の先もちがうけれど、そこに「意志」のようなものを感じて、ひとが生きていることを実感したからかもしれない。何かしらの目的(どこかしらの目的地)があって、信号を渡る選択をし、信号が変わるまで待った先の世界が青信号の下に広がっている。赤信号の90秒と青信号の45秒が作り出す135秒を見届けた者として、名前も知らない彼らの未来を応援したい気持ちになった。

信号の色の変化の繰り返しを眺めながらそんなことを考えていると、いつのまにか30分ほどの時間が流れていた。横断歩道がこんなにも物語に溢れた場所であるとは思わなかった。今後この信号サイクルの一員になったときの自分の姿を想像してまた感傷に浸った。

課題の合間のふとした時間で、新しい世界の見方を獲得ができたことが素直に嬉しい。たまには顔を上げて、ぼーっとしてみるのもわるくない。

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