動きとともに生まれゆく

Ayako Moribe
exploring the power of place
4 min readMay 19, 2019

私は、学部生時代にアルティメットというディスク(フリスビー)を使ったチームスポーツをしていた。週4日外でディスクを投げて、走って、とって、真っ黒に日焼けしながら仲間と長い時間グランドにいた。
アルティメットは7対7の14人でおこなう。ディスクを持って歩くことはできず、味方同士でパスをつないでいく。コートの両端に設けられたエンドゾーン内で味方のパスをキャッチすると得点となり、時間内に多く点をとったチームが勝ちとなる。アメフトとバスケの間をとったスポーツだと言われることも多い。コートはサッカーのコートを縦に半分にしたくらいの広さがあり、コートの端から端までの長さは90メートルをこえる。

近くの味方にパスを通すこともあれば、走り出した味方に長いパスを送ることもある。競技中のポジションは大まかに〈投げる〉人と〈走る(とる)〉人に分けられ、私は〈投げる〉ポジションを担当していた。

味方が走る少し先をめがけてディスクを投げる。放たれたディスクは弧を描くのと、滞空時間があるため、走り出した味方の中心をめがけてしまうと、走者の後方にディスクがいってしまうことになる。ディフェンスを振り切って全力で走ってくる味方を信じ、走ってくる距離や方向と自分が放つディスクの軌道をイメージして、投げる。
極端に言えば、それはその瞬間誰もいない空間に向かって投げるようなものである。これから走ってくるスペースとこれからディスクが飛んでくるスペースに、お互いに信頼してめがけていくのである。

試合は、いわば相手チームとのスペースの取り合いだ。

短いパスでつなぎながら、自分たちのチームがやっとコートの中央くらいまで攻め進んで来たとき、私がディスクを持った。ここまで来たら点がほしい。

その気持ちが、エンドゾーンに近づくに連れて高まっていく。焦る気持ちをおさえながら、意識してコートを広く見渡すと、私から一番遠い位置にいた味方のSが、私のはるか前方のぽっかり空いていたスペースを指さした。プレイヤーは、味方も敵もディスクを持つ私との距離を一瞬つめたところだった。そのときディスクの軌道、Sの走るコースが、空いたスペース上で結ばれる様子がはっきりとイメージでき、

「これはいける」

そう確信した私は、Sが指した方向へディスクを浮かすように投げた。するとSはすぐに走り出し、敵に追いつかれることもなくイメージどうりに得点が決まった。

セットプレーとまではいかないが、私のラストパスでSが得点を決めるのが、チームの定番スタイルの一つだった。チームのみんなは、限られたコートという範囲のなかで、ディフェンスをしてくる敵とせめぎ合いつつ、私とSのための「めがけていく〈余白〉」を生み出していく。ディスクを持つ私の方にみんなが寄って、距離をつめ、コートの奥に〈余白〉を生み出すのをSはわかっていて指したのである。
ディスクと人は絶えず動き、流動的に余白を生み出す。Sが走り込んだ奥の余白は、最初から用意されているわけではなかった。広いコートで、14人のプレイヤーは縦横無尽に走ることができるため、コート内をどのように使うかは、プレイヤー次第。コートの右側に人が寄れば、左側が空く。もし、たった一人だけでもある場所にとどまってしまえば、その周辺の余白は生かすことができない。私たちは、流動的に余白を作り変えながら走り、走りながら作り変えていくのである。

ディスクを持たない人が動くことで、ディスクを投げ、走り込んでいくための余白を生み出す。余白は使う人たちだけではなく、その周りにいる人の動きがカギとなってくる。むしろ周りの人の動きの方が重要なのかもしれない。使える可能性を生み出し、その可能性を残した状態だからこそ余白といえるのではないだろうか。

試合中はSとふたりで得点を決めた気分でいた。しかし、その得点のきっかけは、一緒にかけめぐりながら〈余白〉を生み出してくれたチームメイトのおかげだったということに、コートを出てからようやく気づいた。

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