青い小さな湖の中で

Masaya Nakahara
exploring the power of place
4 min readJun 10, 2017

夏、私は文字通り缶詰になっていた。

海に花火に夏祭り。夏と言えば皆誰しもがキラキラしたイベントに心を躍らせ、たくさんの発見をして、思い出を作り、また自身の大きな成長や変化を期待する季節だ。

家族と旅行に行くも良し。浴衣を着て恋人と夏祭りに行き花火をみるのも良し。何をするにも自由で、キラキラと輝いている。

そんな夏がまた今年も近づき、あと何回夏休みのある八月を過ごせるのかと考えると、切なくてはちきれそうだ。
だが私にとっての夏休みと言えば、やっぱりあの水泳一色で過ごした夏休みだ。

キラキラなんて入り込む隙間もない、みっちりと水泳だけで詰まった、まるで缶詰のような夏だ。

スポーツならばサッカーや野球、芸術ならばピアノやバレエ、もしくは学習塾、と子どもになにか一芸を身に着けさせるため、またはその子自身の楽しさのため、習い事をさせる家庭は少なくないのではないか。私の家庭も私に盛んに習い事をさせてくれる家庭だった。ピアノ、体操、英会話、野球…etc。いろいろやらせてくれたものだ。喘息を患い体が細かった私は水泳も習っており、結果的に選手でやるまでになった。水泳はただの習い事ではなく、私から切り離せない競技になった。

毎日のように何千メートルも泳ぐクラブに所属していれば、夏にはその倍近くの練習量が発生する。朝起きてすぐ約2時間の朝練へ。帰って寝て、何かしらしてたらすぐに夕練。ほぼ毎日プールに入る、そんな毎日だった気がする。泳いで泳いで泳ぎ続けて、掌の皮がふやけない日はなかった。

自分にとって最後の“いつもの夏”は中1に訪れた。父親の海外転勤に同行することが決まっていたからだ。

「ああ、もうこんな苦しい思いをする夏は来ないのか。」

うれしいはずなのに、なんだか寂しい気持ちが上回っていたのをよく覚えている。そうして始まった最後の夏。普段なら何も思わずクラブに缶詰になっていたはずなのに、どうしても邪念が入る。

「自分の今までの熱中に意味はあったのか。」

「もし水泳をしていなかったら他の夏の過ごし方があったんじゃないか。」

今までやってきたことに価値を見出せなくて、最後の夏なのにさぼりがちになってしまった。でも結局はいつも水の中にいた。

水泳は個人競技だ。戦う相手は自分自身。小さいときのように、みんな仲良しではいられなくなってから、一人また一人と辞めていった。ただ続けていても夢がかなう世界ではないこと、自分に才能がないことは重々承知だった。それでも辞めたくないと思わせたのは、居場所を失うことへの恐怖心だった。自分から水泳を取った姿を想像したくなかった。空っぽのまま何もない夏を過ごすよりは、辛くても満たされたと思える夏を最後過ごしたかった。

全国大会には当然のごとく行けず、タイムも伸び悩んだ。はたから見たらパッとしない結果に終わった夏だったかもしれない。それでも私にとっては、最後に自分の居場所がそこにあったことを確かに思わせる、満たされた夏だった。

クラブを辞めるときにもらった寄せ書き

そうしてまたいつもの9月1日を迎える。小学生の時は工作や自由研究に、高校では模試やテストの成績に各々の夏休みの充実度が否応なく反映されていた。どうも私は誰かから夏休みの過ごし方を採点されるような気がしてそれらが嫌いだった。だって、泳いでしかいなかったし、泳ぐ以外の過ごし方を知らなかったから。でも、濃く、透き通った青の夏の日々は、決して無駄ではなかった。そう信じていたい。

あれから私は胸を張れるような夏を過ごしてきただろうか。生活の拠点を海外に移してから日常的に泳ぐ機会は減っていってしまった。代わりといってはなんだが、高校球児が汗を流しながら夢の舞台で戦う姿を応援することが多くなった。何か満たされない自分がいるのを理解していても、そういうものだと自分に言い聞かせ、画面越しに白球を追いかける。

「過ぎ去ってしまった思い出」を肴に、今年もまた、暑い夏を過ごそうか。

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