喜びは先生たちと

駅前の角に5階立てのビルが道路に面している。らせん状の階段を駆けのぼり、3階で立ち止まる。小さなかばんに入った、歯ブラシとマウスピースを確認した。ヒーローはそこで待っている。重いとびらを開けると、今日も相変わらず院内は騒がしかった。

幼稚園からの行きつけの小児歯科だ。清潔感にあふれた病院で、ゴミが全く落ちてないようで安心させてくれる。待合室の右手には、6人がけのソファーが縦に4つ並べられ、みんなが同じ方向を向いて座っている。その先のテレビには、子供向けのアニメや映画が流れている。子供たちのおもちゃコーナーもある。けれども、愉快な音楽とキャラクターたちに、笑ったり、楽しんだりしている人はいない。ひっそりと、キーンとした機械の音が頭にはいってくる。母と隣に座っていても、ドキドキと緊張してしまう。ぼんやりとするだけで、その時を待っていた。

「ひるかわさーん」

自分の名前を呼ばれて声の方に顔を向けると、白服に緑のエプロンを着た女性が笑顔で立っていた。

「どこか気になるところはありませんか?それじゃあ、中に行きましょうか」

衛生士さんが母にたずねる一方で、私はこわばった顔で少しうつむく。笑顔にはじけた衛生士さんに、私は複雑な表情になりながらも背中を押されてドアの向こう側へと連れていかれる。母は手を振り、がんばってねと声をかけ、視線を前に戻す。衛生士さんに手を握られながら、反対の手でぎゅっと歯ブラシを握りしめた。

待合室

診察の部屋は円状になっている。ベッドが8つほど横に並べられ、隣の子供たちが全員丸見えだ。衛生士さんの気さくな会話、機械の甲高い音、子供たちの泣き声、たくさんの音が入り乱れる。そんなこともおかまいなしに、診察がはじまる。寝転がってエプロンをつけ、言われるがままに口を大きく開ける。水が流れだし、口のなかの小さな世界で何が起こっているかわからないまま、ただ開けたり閉じたりするだけだ。 そんな診察が終わると、院長先生がこちらに来てくれる。歯の状態をチェックしてくれたり、写真を撮られたりすることもある。

「大丈夫、絶対治るからね」

院長先生は自信をもって子供たちとお母さんに語りかける。はじめは不安で真剣な顔をしていたお母さんもホッとする。泣いていた子供も、次第に普通の表情に戻っていく。そんな院長先生は、みんなのヒーローだ。


いまは大学生になった。3ヶ月に一度ほど来ていたこの歯科にも、半年の帰省のときにしか来れない。まだ通い続けていることが不思議なくらい、私はこの場所とともに成長をしている。診察は変わらないし、次に何をされるかだいたい予想がつく。ただ、少し変わったことがある。

「お久しぶり〜、元気?また身長伸びたね。むこうの生活は慣れた?楽しんでいる?」

年を重ねて久々に来るたびに、プライペートな話が増えてきた。乳歯が永久歯に変わったり、歯が綺麗に並んでたくましくなったり、昔の写真を一緒にながめながら、私の顔立ちや歯の変化について笑い合うこともある。

小さい頃は、ただの歯の先生たちだった。診察に来て、歯を見せればいいだけだった。でもいまでは、私の成長を知ってくれている、数少ない人たちとなった。こうして田舎の駅前にある小児歯科が、どこかのタイミングで自分の成長をふりかえれるような一つの場所になる。時間とともに、歯科の先生たちと私の関係は変化していく。実は自分の成長を見守ってくれていて、気にかけてくれている人たちがいることに、私たちはどれだけ気づくことができるだろうか。


診察が終わると、みんなは待合室に戻る。お母さんは子供の顔を見て、よくがんばったねと褒めている。もうこわばった顔をすることもなく、おもちゃで遊びだしたようだ。また帰ってきたときに、先生たちと会いたいな。待合室に座りながら、いまはこんなことを思う。少しでも子供たちが怖がらないよう、待合室には先生たちの愛情がつまっている。なぜなら先生たちだって、私たちのちょっとした成長の変化を喜んでくれているからだ。