少しの間、旅に出ます。
大学生最後の夏休み。わたしは少しの間、旅に出る。
夏期休暇のうちの約3週間を使って、バックパッキングで東南アジア各国を周遊旅行する。ただの個人旅行にも関わらず「旅に出る」と言うと大げさだが、国境を陸路で超えた経験のないわたしにとっては、少し大きなチャレンジだ。
わたしは、旅行が好きだ。見知らぬ土地に足を運び、新たな発見をすることに楽しさを感じる。もともと旅行は好きだったのだが、昨年の9月に初めてひとりで海外旅行をして以来、海外へのひとり旅になぜか惹かれてしまう。
初めてのひとり旅は、カンボジアに3泊4日で滞在するというスケジュールだった。1日目はひとり旅らしく、ひとりで観光スポットを巡っていたのだが、思いの外寂しく感じてしまい、2日目からは、1日目の夜にゲストハウスで出会った日本人たち数人と行動を共にした。わたしが一人で夜ご飯を食べに行こうとしていたところ、一緒に行こうと誘ってくれた。出会った人びとは、わたしと同じように皆それぞれひとりでカンボジアに来ていた。旅先での出会いは不思議なもので、出会ってからすぐに打ち解けることができ、その後も夜な夜なお酒を片手に旅について語ったり、他愛もない話で盛り上がった。年齢も肩書きも気にせず、一緒に過ごす時間をただただ楽しむことができた。そして、出会って間もないにも関わらず、一足先に次の目的地へ向かう仲間との別れを心から惜しむほど、深い絆が生まれていた。旅先で一緒に過ごした時間は1日や2日であったにも関わらず、それから一年経った今でも、定期的に時間を作って日本で会ったり、次回の旅先での再会を約束したりするほどの仲になっている。
この経験から、異国の地でひとり旅をしているという共通の背景があることで、初対面であってもすぐに打ち解けあい、特別な絆が生まれることに面白さを感じた。ひとり旅と称して出かけたのにも関わらず、人々が繋がりを求めるのは何故なのか、そして何が人を結びつけ、連帯感を生み出しているのかということについて探ってみたくなった。これを自分の大学での個人研究のテーマにしようと決め、研究のフィールドワークとして今回ひとり旅をしている。
一見、わたしの興味は自分以外の他者に向いているようであるが、同時に自分自身や、自分の日常生活にもそのベクトルは向いている。
ひとり旅をすると、普段当たり前すぎて気づかなかったことが、旅先では特別なことのように思えたり、日常生活においてついついないがしろにしてしまっていることを、旅先でひとりになった時に後悔したりする。ひとりで海外に飛び込むという極端なことをしないと、自分の日常の豊かさに気づくことができないなんて、なんとも悲しいことだ。日常に戻った時にもっと視野が広がるように、旅を通して感性を磨いていきたい。
これを書いている今、飛行機のチェックインを済ませ、搭乗を待っている。いつも搭乗待ちの時間はワクワクして仕方がないが、今回は少し心がざわついている。初めての周遊旅行で不安なことはたくさんある。正直なところ、雨季で道が悪い東南アジアの山道や、山賊が出るかもしれない区域を車で移動するのはかなり怖い。空港に着く前は、根拠のない自信に満ち溢れていたのにも関わらず、情けない。
果たして、この旅でどんな景色が見えて、どんな人びとと出会えるのだろうか。そして、無事に帰って来られるのだろうか。期待と高揚感と不安が入り乱れて、落ち着かない。
わたしがこれほどまでに旅を求めるのは何故なのか。異国の地に引き寄せられた人々は、何を求めて旅をしているのだろうか。そして、彼らを繋げるものは何であるのか。自分がバックパッカーになることで、何か見えるものはあるのだろうか。出かけた先で何を発見し、どんな人と出会えるのかとても楽しみだ。
搭乗開始のアナウンスが入り、人びとがゲート前に列をつくり始めた。そろそろ、出発の時間が近づいているらしい。遅れるまいと、わたしも搭乗券を握りしめ、長蛇の列に加わった。