帰ってきて、また会って
8月の五山送り火が終わり、京都市内の祭りモードは少し落ち着いた。でも、四条は相変わらず。夕方になると、車やバスやタクシーが長い列をつくりだす。ここ祇園は京都の繁華街で、どちらかといえば夜になるほど活気が増していく。あちこちで照明がつき、歩道は若い日本人と観光客で溢れる。短パンとノースリーブ、扇子であおぎながら、少々苦しそうな表情だ。そう、京都の猛暑を侮ってはいけない。暑さにうろたえつつ、私は淡々とスマホで地図を見ながら歩く。もうすぐかなと思ったころ、一軒の居酒屋にたどりついた。あとは、あの子を待つだけだ。
周囲も薄暗かり、遠くの曲がり角に人影が現れた。彼女の名前は、もえこ。私よりも少し小柄で、“ザ・女の子”って感じ。ミディアムな髪の毛は、少しカールがかる。小さな手さげカバンを左手に持ち、こちらに満面の笑顔を向ける。
「ひさしぶり〜」
1年来の再会だろうか。でも不思議なことに、久々な感覚がほぼない。自然な空気感で、私たちは店に入る。彼女は中学時代からの親友。高校を離れてから、極端に会う頻度が減った。大学も違い、今は1年に1度ほど食事するだけだ。
リクエストしていた京料理おばんざいの店。いつものことだが、久々の食事で話に華が咲く。最近の生活、バイト、就職、恋人…天真爛漫な彼女の話には笑いが絶えない。 関西人同士、昔から冗談を言い合ってばかり。ときどき、懐かしい中学時代にさかのぼることもある。 2時間ほど過ごし、ちょっと外へ出てみようとなった。
いよいよ夜店が強く光りだす。四条河原町をつっきり、私たちは木屋町通りへと迷い込む。この小道は中心の高瀬川を挟み、左右に飲み屋が立ち並ぶ。あちこちで勧誘がされ、怪しげな店も多い。でも、風情ある大人びた雰囲気が漂う。しばらく川沿いを歩いていると、右手に見たことのないモダンなカフェを発見した。
まさに“シティーライク”なお洒落カフェ。バーやアートスペースも併設するコンプレックスだ。店内では80年代アメリカンポップが流れ、数人の外国人がパソコンを前に座っている。ちょっと粋なことをしている、私たちは似た気分を共有していた。話もまた盛り上がり、ふといきなり、私はもえこに尋ねてみた。
「もえこのさあ、結婚式のスピーチしてあげんで」
「え、そんなんされたら、ほんまに泣くわあ」
いつもの冗談のつもりだった。でも返ってきた予想外の返事に、小さく笑うことしかできなかった。距離が近い、私たちは仲が良いよねなんて伝えるつもりはない。言わなくてもわかる、そんなたくさんのことを共有しているからこそ、ふとしたひとことが本心に触れる。
22時、ついに帰路へと向かうことにした。少々酔っ払った人たちや若者でまちは賑わいつづける。三条通りまであがり、この橋の角で京阪と地下鉄への道が分かれる。何を躊躇うことなく、私たちはしばらく鴨川を見下ろしながら話をしていた。数時間前に話した同じような話題も繰り返したかもしれない。あたかも、時間を引き伸ばすようだった。
「じゃあ、そろそろ、帰りますか」
「なんか、今日は離れるの寂しいわ」
ふりしぼった言葉に、彼女は寂しさを表した。こんな言葉を直接聞くのは、はじめて。きっと最初からわかっていたはずだ、同じような自分たちでいられるのは、今日が最後だったということを。馬鹿なことをしていた中学時代、メールばかりしていた高校時代、お酒を交わすようになった大学時代。いつの時も、このまちで過ごしできた。来年、彼女は社会に出ている。
日常も人生も、変化の連続。ある時間が経つと、違う場所へと行くときがおとずれる。そのとき、「じゃあ、そろそろ」と腰を上げる。迷いがあっても、どんなに引き延ばそうとしても、いつかは決断しなければいけない。この時間の狭間に、今の彼女はいる。次に会うのはいつだろうか。新しいステージへ踏み出す彼女に、春先は乾杯をしてあげたい。そんな気持ちで、河原町通りを帰っていた。