彼女といるとき

Natsumi Kakishima
exploring the power of place
4 min readJul 19, 2017

その日は朝から晴れていて、夕方突然降り出した雨が夏の始まりを感じさせるような日だった。どうせすぐやむだろうと思い、傘を忘れた友人に自分の傘をあげてしまった私は、夜になって強さを増したその雨を、待ち合わせの場所の庇の下で凌いでいた。

こんな雨なら、さっさと店の中に入って待ってればいい。他の店なら、他の人と待ち合わせているならそうしたかもしれない。それでも私は遅れてやってくる彼女を待っていた。

グリーンライン「高田駅」の目の前にあるバー

この店に初めて来たのは、1年前くらいで、飾らなくともネオンライトだけで雰囲気を十分に演出する店内は、いつも常連さんで賑わっている。きっと決め手はマスターで、ちょび髭を生やしてダンディーなシャツを身に纏い、手慣れた手つきでかっこよくカクテルをシェイク…なんていう教科書通りのバーテンダーとは真反対の人だ。物静かで、どこか人懐っこくて、育メンパパもつとまりそうなおしとやかな人。話したい人は彼と話すが、彼から無理に会話に入っていくようなことは絶対しない。でもみんなのことを大体は知っている。彼女と私が、いつ恋をしていて、いつ失恋したかも気づいていそうな、そんな人だ。いつになっても名前を覚えられないオリジナルカクテルも、大好きなアボカドが惜しむことないサイズで入ってる海苔巻きも、500円前後でそのクオリティだからたまに経営が心配になる。

美容院だったら静かに雑誌を読んでたいし、服を買うときもそっとしてほしい私が、いつしかお店に友達ができたり、仕事帰りの常連さんと仲良くしゃべるようになった。「この前のと同じにする?」「いつもありがとう」というちょっと特別な言葉をかけてもらえるお店に、今日はさよならを言いに来た。彼女がこの街から去るからだ。

遅れてきた彼女は、私の分の傘も手に持ってきた。春に2人でパリを旅した時に買ったマリーアントワネットが使ってそうな変な傘だ。からかうように「なんで友達に傘あげんのよ。はい、なつみはこっちの傘ね笑」と差し出しながら店に入っていく。いつも通り、カウンターの一番端の2席に腰をかけ、かっこつけることを知らない私たちは、たくさんご飯を注文してオセロとダーツをした。何か特別、話があったわけでも、会う約束していたわけでもない。でも気づけば、決して近くはない彼女の住むこの街で会う。これまで2人で4カ国6都市を一緒に旅行した。長女の私と、一人っ子の彼女が旅をすれば、時にむかつくこともあるのだけれど、優柔不断な私とわがままな彼女の組み合わせだからこそうまくいくことも多い。

褒めあったりなんて一度もしたことはないが、彼女は、私が持ってない大きいなにかを持ってる。”この店に来るのは今日で最後”という予感は、きっと「彼女といるときの自分」についてよくわかっているからかもしれない。

彼女は、ひとと関わるとき一歩踏み入れるのが得意だ。相手が何歳であろうと、誰にでもまた会いたいと思わせるような、クセになるものを持っている。どんな店でも、どんな人でもすぐ仲良くなって、帰りには隣のテーブルの人や店員さんと友達になる。それは私が彼女の真反対の人で、苦手なことでもあるから、余計に客観視してしまう。でも、わたしも彼女のようになりたいとは思わないといったら、どこか妬みや諦めのようにも聞こえるが、彼女が横にいればその役は1人でいい。と彼女の存在に甘えている。このバーも、彼女と一緒じゃなかったら入る勇気もなかったし、常連気分を味わうこともなかったと思う。

「来週引っ越すんです。」淡々とマスターや常連さんに最後の挨拶をする彼女。私も今日でここはさよならだという気分になった。行きつけと呼べるお店なのに、きっと1人では来れない。彼女がこの街を去ることは、なにか大きいものを失うような気がしていた。彼女という存在に自分の身を少し隠しながら、委ねながら、やっと私らしさは引き出される。たぶん、彼女といるときの自分が好きだった。

まるで私がこの街を去るかのように、後ろ髪を引かれる思いで、嘘のまじった、確信のない「ごちそうさまです。また来ます」をいって店を出た。

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