恵比寿とともに

Yoko Sasagawa
exploring the power of place
4 min readOct 10, 2019

「しょうらいのゆめをかいてみましょう。」

小学校2年生の作文の授業。私が迷いなく書いたのは、『だがしやさんになりたい』だった。私だけではなくて、クラスの半分くらいがそう書いていた。『だがしやさん』という職業は、当時の私たちが知る世界の中で1番ロマンがある日常の象徴だったのだろう。

そんな憧れを抱かせてくれたのは、まぎれもなく「きりんちゃんのだがしやさん」だ。恵比寿駅西口から渋谷橋方面に歩き、明治通り沿いを進んだビルの1階にあるお店であり、店先には当時の私より少し大きな不思議なきりんのオブジェが置いてある。おそらく初めて来る人は、え?こんなところに駄菓子屋さんがあるの?と思うだろう。こじんまりとしているが、当時の地元の小学生はほぼ全員がここを知っていた。

あいてます、と書かれたプレートを確認して重たいドアを開けると、ずらぁ!と一面に駄菓子が並ぶ。みなさんおなじみのうまい棒によっちゃんイカ、杏仁豆腐スティックにブタメン、のし梅さん太郎に蒲焼きさん太郎、当たり付きの10円ガムになめてんじゃねぇ~ぞというスナック菓子。ぎゅうぎゅうに、所狭しと並べられたカラフルな駄菓子が目の前に広がる。スーパーやコンビニのお高いお菓子ではなく、ちょっと”駄”な菓子達が勢揃いしているこの空間は、ディズニーよりも身近なロマンであると同時に、小学生の私たちの日常だった。

ぎゅうぎゅうに並べられた駄菓子パラダイスの空間

私はだいたい月に500円もないくらいのお小遣いをもらって、週に数回、放課後にここに通った。覚えたての足し算を精一杯駆使し、指をおりながら考え尽くし、その日の気分に1番合う買い物をする。友人と来店してもお会計まで一言も喋らないくらい集中して、みんながそれぞれこの時間に浸った。100円くらいの予算と「ここを全部買い取れたらいいな」という夢との間を真剣にゆらゆらする。

その後は大抵、近くのたこ公園(恵比寿東公園)にキックスクーターで移動して、ブランコをぺとぺと触った手で駄菓子を食べたり、今はない大きなたこのすべり台の周りで全力で鬼ごっこをしたりしていた。これが小学生の私流の放課後の、オフの楽しみ方だった。

・・・

大学生になったわたしは、先日、本当に久しぶりにここを訪れた。

あの頃は自分の背丈よりも大きかったきりんのオブジェも、1つ買うのさえ悩み抜いた駄菓子も、あの時大きくて高いと感じていたものは、みんな小さくお手頃になっていた。だってバイトを1時間したら、両手におさまりきらないくらいの駄菓子が買えるから。そこには昔みたいな、ぎりぎり手の届くロマンはない。

そういえば、昔は電車に乗って出かける事もロマンがあった。駅の改札に切符を通すのは絶対に自分でやりたかったし、つり革を掴める大人に憧れた。満員電車で押し潰される経験もした事がなかったし、携帯電話もなしに1人で電車で迷えば家には帰って来れないと本気で思っていた。
今は恵比寿を基点に移動を繰り返す生活を繰り返しているが、当時は恵比寿の一部、あのエリアだけが、私の世界の全てだったわけだ。何も考えず、毎日のように改札をサッと通っている。
ふと、「なんだか大きくなってしまったな」と思う。

そんなことを考えながら通りすがった夜のたこ公園は、放課後の時間帯に通っていた家族連れの多い姿とは違う、仕事終わりの大人の息抜きの場所になっていた。そしてちょっと古くなっていた大きなすべり台は、新しい小さなものと取り替えられている。わたしが成長する間に、恵比寿もゆっくりと時間をかけて変化を重ねてきたのだろう。

そんな変化を目の前にして、「ここで育ったんだな」としみじみ思った。

小学生の頃の日常なんて、もう鮮明に全てを思い出せない。あの頃毎日何時に起きてどんな服を着ていたかとか、時間割がどうだったとか。
ただ、同じ場所に訪れると懐かしさを感じる。当時は特別だとも不思議だとも思わなかった日常の景色が、ゆるやかな時の流れと、目の前の世界の解釈の変化を教えてくれる。大きくなってしまった、と感じる今の私には、今の私にしか感じられないこの町の見方があるのだろう。
恵比寿とともに育ってきた。そのものさしを心に忍ばせながら、色々な町を楽しめる年齢になった。その自由さを楽しみながら、私なりにのんびりとこの町とこれからも関わっていきたい、と思うのだ。

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