恵比寿の邂逅

Kana Ohashi
exploring the power of place
4 min readNov 19, 2019

私にとってまちの印象は、出会った「人」で決まる。そこでしか見られないまち並みや、味わえない料理に心を動かされることもある。でも、あるまちを想うときに真っ先に出てくるのは、そこで出会った「人」のことだ。ここでいう「人」は、必ずしも直接会った人とは限らない。そのまちで鑑賞した作品のアーティストや、見つけた本の著者なども含まれる。

2014年の夏の終わりに、私は恵比寿駅近くの東京都写真美術館を訪れた。当時の研究室の仲間で香港からの留学生のジョイスが、開催中だった「フィオナ・タン まなざしの詩学」という展覧会のチケットを譲ってくれたので、内容をよく調べずにふらりと行ってみたのだ。そして、フィオナ・タンがどんなアーティストかを知らないまま、彼女のドキュメンタリー作品『興味深い時代を生きますように(May You Live In Interesting Times)』を観た。上映が始まってすぐ、私はくぎづけになってしまった。細部まで見逃さずに記憶したいと思った。過去に美術館で何かを観ていて、それほどまでの気持ちになったことはなかったので、自分でも驚いた。

フィオナ・タンの両親は、中国系インドネシア人とオーストラリア人だ。彼女は、インドネシアで生まれ、オーストラリアで育ち、ドイツやオランダで生活している。「自分は何者なのか」。『興味深い時代を生きますように』は、彼女が自分の「roots(根源)」を探すために続けた旅の記録だ。旅の過程で、中国にある先祖の故郷にたどり着く。彼女は、その村で出会った人びととやりとりをしたとき、自分には中国人の血が流れているかもしれないが、自分は「中国人」ではないと感じる。「自分は何者なのか」という問いに対して、家族の歴史を辿って「roots」を確かめても、満足できるような答えは出なかったのだ。むしろ、そこで違和感を覚えたことが、彼女にとって何より重要な発見だったのだろうし、観ていた私が勝手に希望を感じた部分でもある。それは、文化人類学者のジェイムズ・クリフォードが、著書『ルーツ』の中で述べていたこととつながる。

すべての人が多少なりとも、たえず乗り換えの状態にある……。そこでは「あなたはどこから来たのですか」という問いよりも、むしろ「あなたはどこからどこへ行く途中ですか」という問いがふさわしいのです。(クリフォード,2002)

クリフォードが主張していることは、文化にしてもアイデンティティにしても、純粋で真正な固有の根源、すなわち「roots」に固定されるものではないということだと思う。彼は、文化やアイデンティティを、移動の過程で出会うさまざまな要素の影響を受けながら構築/再構築されるものとして考えている。そして、その多様な要素のつながり、関係の経路としての「routes」に目を向けることの重要性について述べている。フィオナ・タンは、自ら旅に出ることでこのことを実践的に理解していたように、私には見えた。

この作品を通してフィオナ・タンと出会ったことで、当時、博士課程の1年目で、研究の方向性に迷っていた私の心持ちは大きく変わった。フィオナ・タンに対して抱いた深い共感のベースには、自分自身の20回の引っ越しや家族の経験があることに気づいた。「移動」と「家族」という、その後、私の研究を貫くことになったキーワードが明確になり始めたのは、この時期である。2014年度の後半には、院生仲間のジョイスと徳山夏生さんと一緒に、ドキュメンタリー映像『故郷[Home]』を制作した。この作品は、研究室の「団地の暮らし」というプロジェクトで訪問した、横浜市の洋光台の団地で出会った、ネパール出身のビサールさん一家の物語だ。そして、その次の年度から、博士研究の作品となった『移動する「家族」』の制作に取り組んだ。あの夏、恵比寿であの展覧会が開催されていなかったら、フィオナ・タンに出会うことはなかったかもしれない。そして、私の研究の方向性は今とは違っていたかもしれない。現在の私を成り立たせている、多様な要素のつながり、関係の経路としての「routes」に思いを馳せる。

恵比寿は、何度も訪れたことがあるまちではない。じっくり歩き回ったこともない。にもかかわらず、私にとっては特別なまちだ。

『故郷[Home]』の展示上映の様子(2015年1月開催の加藤文俊研究室「団地の暮らし展」にて)

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Kana Ohashi
exploring the power of place

Ph.D. in Media and Governance. Associate Professor at Department of Communication Studies, Tokyo Keizai University.