恵比寿はつづくよどこまでも

kokeko
exploring the power of place
5 min readFeb 19, 2020

こんなことがあった。
恵比寿の駅にあるベンチの前を通りかかった時だ。そのとき、ふと「あれ?これ前にもみたことがあるな。」と恵比寿ガーデンプレイスに向かう道に置いてあるベンチの前で、私は小首を傾げたのだった。
そのベンチはどうにも懐かしく、しばらくその前に立ったまま考えていた。このベンチに座って誰かと話したか?なんなら、夢に出てきたっけ…?

どうにも気になってしまいメッセージアプリを立ちあげると、小窓にポコポコ「恵比寿」と打ち込んでみる。

この、あまり馴染みのない三文字をたくさん使っているチャットルームがあった。それは高校で同じオーケストラで活動していた友達3人組のグループだった。彼女たちとはテキストメッセージを中心にして繋がっていたが、特に大学を卒業してからは頻繁に顔を合わせるようになった。
それも、高い頻度で、ここ恵比寿で。

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私自身、じつは恵比寿の事がよくわからなかったのだ。

何度か訪れた事はあったものの、実はあまりよく覚えていなかった。この感覚は、表参道とか六本木に対する感情とよく似ていて、もしかしたらこじゃれた街にいると落ち着かないのかもしれないなと思う。むずむず、もとい、そわそわ、だ。

なのに、そのベンチをみた時に懐かしい気持ちになったのは、どうやら彼女たちと以前この前を通り過ぎたからなのであろう。

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はて、なぜ恵比寿になったのだろうか。イベントなどに参加した記憶もあまりない。膨大な会話のログを見返してみると、友達のうちの1人が、恵比寿のここのお店がいい!と提案していた事に気づく。

その子は、気遣いが出来て、マメで、努力家だ。彼女がこれからなるであろう職業において、おそらく最も重要になるであろう、コミュニケーションスキルに長けた、そんな人だ。こんな大雑把な自分とは対極で、よくここまで一緒に仲良くしてくれるなあなんて会うたびに思う。

そして、さらに履歴をみてみると、もう1人の友達の「恵比寿の〇〇っていうお店にいきたいな!」というメッセージにも行き当たった。

もう1人は、凛としていて、冷静ながらも情熱的な面を持つ、とても多才な人だ。彼女の言葉は強い、短いけど、とてつもない強さを持っている。かと思えば、リズミカルにユーモアたっぷりの言葉も編める。ときたま、言葉を軽率に転がしてしまう自分とよくここまで仲良くしてくれてるなあ、なんて思ったりする。司馬遼太郎を敬愛してやまない、強い女である。

我々は実は全然違う、院生、医学生、社会人。オーケストラのパートも違った。クラスは時々一緒だったけど、3人で同じクラスにはなった事がない。だけど、仲良し。

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ある会合の時、我々は恵比寿ガーデンプレイスに行った。イルミネーションの時期だった事をよく覚えている。先ほどのベンチを通り過ぎ、恵比寿といえば花男がどうのこうの、と話しながら動く歩道を歩いた。

さまざまなものが光を放つなか、我々は一つのものに釘付けになった。
それはシャンデリア型のイルミネーションだ。
3人とも口を揃えて「あ、オペラ座の怪人じゃん」と言った。

シャンデリアが「でん」と中央に構えていたのだ

(我々の世代で)中学、高校からのオーケストラの経験者だったら、何かしらのタイミングで絶対に一度は演奏するであるだろう楽曲だ。(筆者は合計3回演奏した)(個人的に、この部類の楽曲としては、パイレーツ、ラデッキー行進曲、ハンガリー舞曲5番あたりが該当するんじゃないか、と思っている…)

「フルートのソロが〇〇さんで…」
「トライアングルの合いの手はどう頑張っても笑っちゃうよね」

ブワーと出る思い出話に耳を傾けながら、このよそよそしかった空間がグッと近くなった事に気づく。イルミネーションなんてねぇ…とか言いながら斜に構えていたオブジェが突如、思い出の起爆剤になったのだ。

一見バラバラの3人が、なぜか何度も訪れてしまう場所が、恵比寿なのである。多分これからも私たちは恵比寿に来るだろう。
そして、3人の思い出の起爆剤となる”恵比寿のなにか”を発見していくのだろう。自分の中の「恵比寿」の輪郭がなんとなくみえた気がしたのだった。

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私は大学院生で、その研究会の展覧会が2月の上旬に恵比寿で行われた。その会期中、展示以外に一つだけむずむずしていることがあった。その日は医師国家試験の日だったからだ。自分の展示の説明を終えて、時計に目を走らせるたびに、今日という日に向かって6年間努力してきた、マメな友達の事が頭をよぎっていた。

ほら、また恵比寿に彼女らとの思い出が増えた。

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